速くてかっこよくて豪華な平成の特急電車

茶番~はじまり~

しょうた:
悲しい出来事でした!!!!!!!

ひなた:
どしたん?話聞こうか?

しょうた:
うん。聞け。
話の始まりは中野お兄さんが株で儲けたこと。
気を大きくした中野お兄さんは酒の勢いで宮崎のホテルを予約して宮崎旅行に行くことにして、しょうたも一緒に連れて行ってもらったんだ。

ひなた:
マジか!?あの地の果ての陸の孤島に!?

しょうた:
うん。
それで、JRの株主優待券を使うために、特急を乗り継いで行ったんだけどね。

ひなた:
飛行機じゃなくて6時間かけてJRで行くとは……。
株で儲けても、貧乏性は抜けないんだな……。

しょうた:
それで大分駅から乗ったにちりんが、塗装は剥げまくりであちこち錆まみれの走る廃墟になっていたんだ!
洗面所のシンクがこの世の終わりみたいな色になっているし、窓もかなり汚いし、どうなってるんだ!
JRのスターだったつばめ形電車こと787系が、田舎に左遷された挙句あんな見るも無残な姿になるなんて、悲しい。悲しすぎるよ。

ひなた:
なんだそんなことかよ。くだらね。

しょうた:
あ!?
お子達にとっては古臭い電車でも、平成の頃は平成少年それぞれの願いをのせてひた走るみんなの憧れの夢の列車だったんだぞ!
ひなたみたいなわかってないガキには、平成に活躍したかっこよくて速くて豪華な特急電車について教育してやる!

つばさ:
またお兄さんの一周回って新しくならない昔語りがはじまった……。
宮崎のお土産をくれたら聞いてやるよ。

651系スーパーひたち

スーパーひたち

スーパーひたち

(画像引用元:ポンキッキーズ「きたきたとっきゅう」)

651系は平成元年にデビューしたJR東日本が初めて製造した特急用電車です。

デビュー当初は常磐線の特急スーパーひたちとして東京と東北を結んでいて、在来線特急としては初めての130キロ運転を行って所要時間を大幅に短縮しました。

デザインは、黄土色だった旧国鉄の特急電車から装いを一新した白一色の外装で、デビュー当初はタキシードボディのすごいヤツと宣伝されていたそうです。
平成初頭基準でのデジタル化もすすめられていて、技術面では運転室に当時日本国内では前例のなかったタッチパネル式の乗務員支援モニタを設置し、設備面ではポンキッキーズで「スーパーひたちは衛星テレビつき」と言われたように、グリーン車の座席にはテレビが取り付けられていていました。
JR東日本の始まりを飾るにふさわしいそれまでの特急とは比べ物にならない車両だったと言えるでしょう。

そんな651系は常磐線の顔としてデビュー以来20年以上にわたって活躍していましたが、平成23年、その運命は大きく変わってしまいます。
東日本大震災で福島第一原発がメルトダウンし、原発のすぐ近くを通っていた常磐線は事故の影響を大きく受けます。
上野に向けて折り返し準備中だったスーパーひたちも避難区域内に取り残されて荒廃して動くこともできなくなり、上野に戻ることはなくそのまま解体されてしまいました。

常磐線の復活も絶望的だったため、JRも常磐線の特急運転区間をいわき以南に縮小することにし、651系にかわる首都圏に特化した新型車両を導入。
こうして651系は常磐線を追放され、高崎線の通勤特急にしばらく使われたのち、2023年に引退してしまいました。
晩年はろくに手入れもされず、塗装は剥げて錆にまみれ見るも無残な酷い姿になっていたようです。

震災さえなければ、もっと活躍していたんだろうね。

東武スペーシア

東武スペーシア

東武スペーシア

(画像引用元:ポンキッキーズ「きたきたとっきゅう」)

スペーシアは平成2年にデビューした東武鉄道の特急電車です。
浅草と日光鬼怒川を結ぶ特急けごんや特急きぬに導入されました。

昭和の昔、日本一豪華な特急電車と呼ばれた東武ロマンスカーの後継車として、そしてバブルの絶頂に誕生したので、銀座東武ホテルのデザイナーが設計を手がけてとても豪華な車両に仕上がりました。
普通車ですら当時の新幹線100系電車より広い幅の座席を装備し、デビュー当初は各座席に高音質なスピーカーを装備。
テーブルや扉の取っ手など車内の金属部は金色に塗られ、バブル建築な高級ホテルのロビーのようです。

普通車でもこれなので、グリーン個室はもっとすごく、各部屋に巨大な大理石製のテーブルが設置されています。
このとてつもなく重いテーブルを抱えて日光に続く坂を登るためにモーターの出力もとても大きく、スペック上は当時の新幹線と同じ時速210キロを出せるそうです。
そしてその大出力モーターの轟音がお客様を不快にさせることがないように、客室の床も通常の鉄道車両の倍以上の厚さにしているので、走行中もモーターの音はほとんど聞こえずとても静かで快適です。

豪華な設備、そしてその豪華な設備を支えるために本来必要ないバケモノじみた性能を備えているという、バブルの余裕を体現した車両。

スペーシアは走るバブルなのです。

その後、ビュッフェが縮小されたり座席のスピーカーが撤去されたり失われた30年と共に豪華さが失われた部分もありますが、JR線に乗り入れて新宿や八王子まで足を延ばしたり、東北行の夜行列車に抜擢されるなど、活躍の幅を広げています。
なのに、同じ東武鉄道の東上線にはやってこないのはなぜですか?

2023年に新型スペーシアが登場してしまったものの、当面はスペーシアと併用するとのことなので、走るバブルはもうしばらく楽しめそうです。

小田急VSE

VSEロマンスカー

VSEロマンスカー

画像引用元:小田急電鉄 VSEメモリーズ)

平成に入って東武ロマンスカーがスペーシアに引導を渡し、小田急といえばロマンスカーというイメージが定着しました。

しかし、バブル崩壊後の箱根の衰退で、本来箱根への観光特急だったロマンスカーは沿線の通勤列車としての区間利用が多くなり、ついには通勤特急としての使用を想定した車両 (EXE) まで製造されてしまいます。
この通勤用特急は定員の増加で通勤客からの評判は良かったものの、ロマンスカーとは似ても似つかないしょぼい外観で観光客からの評判は悪く、運悪くあたってしまったお子が泣き出し、ただでさえ減っていた箱根までの特急利用者はますます減って箱根はさらに廃れ、小田急はポスターに使い古した旧型のロマンスカーを採用したほどでした。

そこで、箱根観光の復活とロマンスカーの復権をかけて開発されたのがVSEです。

開発はロマンスカーの原点回帰をコンセプトに行われ、ロマンスカーの象徴だった展望座席が復活したほか、過去のロマンスカーの技術や、過去に開発するも導入を断念した様々な技術が盛り込まれました。
デザイナーには関西空港などを設計した建築家の岡部憲明が招かれ、全長150mの走るオブジェとしてデザイン。
サービス面でも特別扱いされていて、専任の乗務員は車内の試験に合格した者しかなれず、制服も一般とは異なるものを着用していました。
また「ロマンスカーカフェ」というアテンダントが車内を回り、注文を受けて売店から各座席にドリンクや軽食をお持ちするサービスも行われていました。

こうして白いロマンスカーのVSEは平成18年にデビューしました。

VSEはグッドデザイン賞や、その年に登場したもっとも優秀な鉄道車両に送られるブルーリボン賞など、多くの賞を受賞。
開発目的であった箱根の観光客も回復しはじめ、小田急のイメージリーダーとして大活躍しました。

しかし、特殊な機構を多く搭載したため交換部品を手兵できなかったり、曲線を多く使った車体の修理が難しく、2023年にわずか18年の短い生涯を終えてしまいました。
短い活躍ではありましたが、晩年の651系のように無残な姿はさらさず、デビュー当時の美しい姿のままで生涯を終えられたのは幸せだったのかもしれません。

名古屋鉄道パノラマSUPER

ドゥワァ!センナナヒャク!!

ドゥワァ!センナナヒャク!!

画像引用元:【どけよどけよ●すぞ~♪】名鉄のミュージックホーンが面白い)

展望席のある特急は小田急ロマンスカーだけではありません。
名古屋の名古屋鉄道もパノラマカーという展望席付きの特急を走らせていて有名でした

そのパノラマカーの後継として1988年から平成11年にかけて製造されたのがパノラマsuperとよばれる車両群です。 前面展望をより楽しめるように、運転室直後の客室は床の高いハイデッカー構造で抜群の眺望性を誇ったことがパノラマsuperの特徴です。

基本的にはバブルを反映した豪華な車両でしたが、バブルでも名古屋人のケチぷりは変わらず、変な車両も混ざっていました

1300形というグループは、機械にお金をかけたくなかったのか廃車になった旧パノラマカーの機械を流用して作られました。
案の定機械の寿命が来てしまったため他のパノラマsuperが更新工事を受けて元気に走り続ける中、この車両は元号が変った頃に廃車になってしまったようです。

また、平成11年に登場した最終グループの1600形という車両はパノラマsuperなのに、パノラマカーがパノラマカーたる所以の展望席がなかったです。

名鉄もパノラマできないのにパノラマsuperなのはおかしいと考えたのか、のちに改造されて普通の特急電車「1700形」に改名。
皮肉にもそれを見た鉄オタが「ドゥワァ!センナナヒャク!!」と叫んで疾走した動画が有名になってしまったせいで、本家パノラマsuper以上に有名になってしまいました。

787系つばめ

(BB新兵衛撮影)

787系は平成4年にデビューしたJR九州の特急電車です。
デビュー当初は鹿児島本線の特急つばめに導入されて博多と西鹿児島 (当時) を結んでいて、つばめ形電車とよばれていました。

つばめという列車名はこの車両の登場を機につけられたものですが、つばめは旧国鉄→JRグループの象徴とされている特別な鳥なので、JR九州はわざわざ他のJRにつばめの使用許可を取ったそうです。

そんなJRグループの看板を背負う列車のために登場した787系は、その任に恥じないとても豪華で洗練された車両で、グッドデザイン賞とブルーリボン賞の他に、優秀な鉄道車両に送られる世界的な賞のブルネル賞の優秀賞まで受賞しました。

設計はJR九州でお馴染みのデザイナーの水戸岡鋭二。
現在では耄碌して板に座布団を敷いただけの電車を作って通勤客のお尻を破壊したり、通勤電車の座席に本革を使って当然ながらボロボロになって乗客に不快感を振りまいたり、しまいには拗ねて「なら座るな!」とばかりに椅子のない電車まで作ったり、見た目重視で実用に耐えないものばかりデザインしていますが、当時は冴えてました。 水戸岡氏は787系はつばめやにちりんシーガイアの博多~西鹿児島/宮崎空港間は4時間を超える長時間の乗車になるので、一つの町をイメージしたゆとりある空間をコンセプトにデザインしました。

設備上の最大の特徴がビュッフェで、車内で調理された様々な料理が提供されていました。
看板メニューはチャオ (炒飯のようなもの) とつばめビール。ビュッフェ部分は他の部分より高い卵型のドーム天井が取り付けられ、空間的にも開放感あふれる場所でした。

グリーン車には、一般のグリーン車に加えて会議室としての使用を想定したオープンキャビンという4人掛けのガラス貼りの半個室と、トップキャビンというグリーン個室の3種類を用意。
個室があったのはグリーン車だけでなく、普通席にもグループ向けの半個室としてセミコンパートメントが編成あたり6区画も設置されていたほか、横になれるフリースペースの個室も1室あります。 接客面では、車掌のほかに飛行機のキャビンアテンダントにあたるつばめレディと呼ばれる客室乗務員も乗務していました。

平成16年の九州新幹線新八代~鹿児島中央間の開業でつばめはリレーつばめになって運転区間が短縮されて車内でご飯を食べたり会議を開けなくなったのでビュッフェとオープンキャビンなど一部の設備を撤去 (ビュッフェはその後D&S列車の36+3で復活) しましたが、代わりにオープンキャビン跡の広いスペースを使ってデラックスグリーン席が設置されました。
登場当初のデラックスグリーン席ではドリンクサービスやスリッパの配布も行われており、飛行機のファーストクラスさながらの至れり尽くせりぶりでした。グランクラスのご先祖様でしょうか。

しかし、平成23年の九州新幹線全線開業で20分間隔で走っていた鹿児島線特急も朝夕の通勤便と早朝深夜便以外廃止され、787系は長崎線や南九州のローカル特急に左遷。
いつの間にかデラックスグリーンのサービスもなくなりました。

長崎線特急になった車両は博多にも顔を出すし、西九州新幹線開業後はリレーかもめにも使われているので行先表示器がフルカラーLEDに更新されるなどまともな扱いを受けていますが、南九州に飛ばされた車両はろくに手入れもされていないようで、塗装は剥げ落ち、車体は錆にまみれ、窓も汚れて天然の遮光スモークがかかり、無残な姿をさらしています。
悲しい出来事でしたね。

つばめ形の栄光も今は昔でぞんざいに扱われるようになった787系ですが、ビュッフェや客室乗務員のおもてなしはD&S列車に形を変え、そのコンセプトやサービスは現在まで受け継がれています。

ハイパーサルーン

スーパーひたちがJR東日本最初の特急電車でしたが、旧国鉄最後の特急電車はどんな車両だったのでしょうか?

それは、JR九州783系電車です。

画像引用元:ポンキッキーズ「きたきたとっきゅう」)

デビューはJR誕生直後だったものの開発までは旧国鉄がすすめていて、先々代の山手線車両など当時の最新技術が集められた国鉄の集大成ともいえる電車でした。

車体はステンレス製で軽量化をはかり、130キロ運転に対応。
車内には今となっては当たり前のLED式の停車駅などの案内表示器が設置されていますが、これは在来線特急としては初めてのものでした。

例によって最前部は展望席。
ロマンスカーもパノラマsuperもだけど、80年代末~00年代前半ぐらいまでの特急電車は展望座席をつけがちだよね。

そして、783系最大の特徴が車両の中央に扉があってA室とB室に分けられた構造です。
1つの車両に2つの客室を作ることで、編成の短い特急でも自由席/指定席、禁煙車/喫煙車など、色々なタイプの座席を柔軟に設定することができるようになりました。

様々な新要素が盛り込まれた一方で、グリーン車の座席には従来の国鉄特急と同じタイプのものが採用されたり、デビュー当初はJR九州特急でお馴染みだった終点到着前の浪漫鉄道の代わりに鉄道唱歌が流れていたり、古さが抜けきっていない部分もあって過渡期を感じますね。
あと数年もすれば、最後の国鉄特急として鉄オタに注目されて「国鉄のにおいがムンムンする!」と騒がれたりするに違いない。

783系にはハイパーサルーンの愛称がつけられ、博多西鹿児島間の特急ハイパー有明で運転されていましたが、デビューからわずか4年後には早くもつばめが登場して脇役に追いやられ、いつの間にかハイパーサルーンの愛称も自然消滅。
フラッグシップを追われた783系は短編成でも色々な座席を設定できる特性を活用して肥前山口 (江北とは呼ばない) や早岐で行先別に分割併合する長崎線特急に抜擢されて現在まで活躍しています。

全盛期は短かったとはいえ、色々な用途で末永く活躍できるように考えられた車両だったと思うっちゃね。

西鉄8000形

画像引用元:西日本鉄道 車両の紹介)

福岡と大牟田を結ぶ最西端の大手私鉄・西鉄電車が、並走するJRのハイパーサルーンに対抗するために平成元年から運行を開始した特急用電車が8000形です。

西鉄特急は特別料金なしで乗れるし、ラッシュ時は普通電車で走ることもありましたが、運転室直後には展望座席を設置し、デビュー当初は公衆電話も設置され、特別料金が必要な列車にも劣らない、というか、ハイパーサルーンを除いた当時のJR九州特急車両より豪華な設備を持っていました
座席のクッションも一般車両と比べると厚くてフカフカの重量感がある立派なものでした。
けど、反対向きに倒すときにかなり重かったのが玉にキズ。中野お兄さんは挟んでしまって爪を折ってしまったことがあるそうです。

二日市から南の西鉄は久留米市内以外ほとんどカーブがなくてほぼ全区間でトップスピードで出せるので、最高速度は110キロで他の特急と比べると遅いものの平均速度では私鉄最速で、最速だった平成20年から22年にかけては天神大牟田間75キロを58分で結んでいました。
その後は160キロ運転を始めた京成スカイライナーに私鉄最速列車の座を奪われ、一方の西鉄特急は高架化工事の関係で徐行運転が始まり、停車駅も増えてどんどん遅くなっているけど……。
悲しい出来事でしたね。]

そして8000形も日々の高速走行のために他の車両より劣化が進行していたので平成29年に引退。
同じ西鉄の宮地岳線では60年モノの車両が現役なのに、29年の短い生涯を終えました。
8000形の後任の特急用電車は製造されず、その後の西鉄特急は他と変わらない車両で走るようになったばかりか、一時は平日日中の運転が取りやめられてしまったり、停車駅がさらに増えたり、どんどん扱いが雑になっています。
とても悲しい出来事ですね。

天神含む西鉄の主要駅の2ドア乗車位置の案内や、駅の案内板のピクトグラムの8000形が、平成の西鉄には特急専用車両がいたことを伝えています。

公開 H36-04-27