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家電・技術
35-06-17
懐かしい未来の車・ソーラーカーと平成エコカー小史
日本テレビ系「ザ!鉄腕Dash」。
いつの間にかTOKIOが農業やDIYなどのホームセンターのお世話になりそうなものに挑戦する番組になってしまいましたが、かつては節約術の紹介、地域全体を舞台にした巨大缶蹴り大会、エリート警察OBとのケイドロ、電車との競争などの様々な企画が行われていました。
Wiki情報によると、さすがの
TOKIOも寄る年波には勝てず、このような体力が必要な企画はできなくなったんだとか……。
悲しい出来事でしたね。
そんなTOKIOが体張ってた頃の「鉄腕Dash」で、今はなきDash村と並ぶ番組の看板コーナーとなっていたのが「
ソーラーカー日本一周」。
ハイゼットを改造したソーラーカーのだん吉に乗って、北海道から沖縄まで日本列島を海に沿って一周するという旅企画です。
太陽光が弱くて全く進めなかったり、たまに道を間違えたり、色々なトラブルに遭遇しつつも1万7千キロの道のりを7年半かけて走り切りました。放送期間・移動距離ともに、テレビのシリーズものの国内旅行企画としては最大級のものだったんじゃない?
ところで、「ソーラーカーだん吉」と言ったけど、
ソーラーカーって単語全然聞かなくなったよね。新世紀が始まった頃は、
未来の車は太陽の光で動くようになると信じていたのにっ!!!
そもそものソーラーカーってのは、太陽光パネルを屋根にのせて、そのエネルギーでモーターを回して走る車のことです。
二酸化炭素は一切出しませんし、排ガスも出さなければ給油にも行きません。
ガソリン駆動の自動車以上に環境に優しい、新世紀の自動車の形だと言えます。
90~00年代にかけては通産省 (当時) も関わる「ソーラーカーレース」という、大学の研究室がソーラーカー開発を競うイベントも開かれたり、話の掴みで触れたようにTOKIOがだん吉を走らせたり、世間からも未来のエネルギーとして期待されていたようです。小学校の社会だか生活だかの教科書には地球温暖化問題 (SDGsとは言わない。) とかのページで「環境を守る技術」としてソーラーカーが紹介されてたし、理科の授業でもソーラーカーを作って何のためにやってるのかよくわからない
ザッツ・あ・ゆとり教育的な実験が行われていたものだよ……。
現代では当時と比べ太陽光パネルも安価になり、メガソーラーがぼこすか建つほど普及しているというのに、なぜソーラーカーはフェードアウトしてしまったのでしょうか?
原因の一つが、平成後期には国民車として確固たる地位を築き上げたハイブリッドカーのプリウスです。
平成9年に登場したプリウスは、当初は走行性能の低さや新技術への不安視からあまり売れなかったみたいですが、平成12年の北米での発売後、エコとかそういうのが好きそうなセレブの皆様の間で大流行し国内でも知名度を上げます。
そして平成22年の
エコカー減税の対象となったことで国内でも普及し、すっかり国民車の地位を確立。
一般庶民はもちろん、フレンチランチに急いで暴走事故を起こした某上国民様もご愛用 (※) です。
環境に優しい車のイメージは、プリウスのブームでソーラーカーからハイブリッド車に持っていかれてしまったのです……。
Googleトレンドで「ソーラーカー」の検索数を見ても、エコカー減税の時期から話題になることが減りはじめています。
とはいえ、
太陽光利用に関する学会誌ではまだ特集を組まれ、研究対象にはなっていたソーラーカー。
とどめは、バッテリー技術の発展でした。
00年代前半までのバッテリーの性能は、今と比べると非常に低いものでした。
携帯電話のバッテリー切れが原因ですれ違いが起こるのが当時のラブコメや楽曲のお約束だったように携帯電話の電源はすぐに切れていたし、モバイルバッテリーなんてものもありません。一応あったのかもしれないけど、普及してなかったです。携帯ゲーム機が今のような充電式になったのもGBASPからで、それまでは乾電池を入れ換えていたよね。だん吉もバッテリーの容量が少なかったので曇ったり夕方になって日が傾いたりして太陽光発電できなくなると生まれたての小鹿のようにヨロヨロとおぼつかない足取りになり、ほどなくバッテリー切れで動かなくなっていました。
しかし、00年代半ばに携帯電話やハイブリッド車の普及に合わせてバッテリーの技術革新が進み、
急速充電可能な大容量バッテリーが安価に大量製造されるようになりました。今や誰もがモバイルバッテリーを持ち歩き、乗用車よりも何十倍も重いでんちゃ (電車ではなく、でんちゃというらしい。) さえもリチウム電池で動きます。
こうして
バッテリーに貯めた電気だけで普通に走れるようになったことで発電しながら走る必要性もなくなって、ソーラーカーを作る意味はもはや消えてしまったのです。
平成人の想像した未来の車は、想像以上に早く発展した現実の技術に追い越されてついに陽の目をみることはありませんでした。「ソーラーカー」だけに。
平成という時代は停滞していると言われ続けてきたけど、想像も越えてしまうあたり
平成の科学技術の発展もすごかったと思うっちゃね。
(※) 裁判では、暴走は車の不具合のせいだと開き直り続けており、現在はアンチ化しているようだ。
00年代のテレビの話をしましょう。
テレビといっても、今日するのはテレビ番組じゃなくて (それはまたおいおい紹介します) テレビという機械そのもの、専門的に言うと「テレビジョン受信機」の話。
パソコンの普及とともにさまざまなハイテク(死語)技術が誕生し、そして消えていった00年代は「テレビ」にとっても激動の時代でした。
00年代前半はまだアナログなブラウン管テレビが主力の時代。
80年代からの伝統的な黒い箱型のテレビも相変わらず使われていましたが、この時代の華はブラウン管ハイビジョンテレビでした。
(写真:メーカーカタログより)
ブラウン管ハイビジョンテレビは通常のテレビよりもブラウン管の走査線を増やして高画質・色再現性を実現したテレビ。
性能は現代の液晶テレビとも遜色なく、特に応答速度に関してはそれをも凌駕する高い性能を持っているそうです。枯れた技術の水平思考で現代の最新技術に匹敵するものを実現するって、燃えるよね!
サマーウォーズでカズマが「ブラウン管がいい」と言ったように、遅延の少なさに惹かれてこれを所望するゲーマーは今でもいるんだとか……。
しかし、おごれる平家も久しからずや……。一世を風靡したブラウン管ハイビジョンテレビの天下は一瞬で終わりました。
2001年に家電リサイクル法が施工されブラウン管テレビを廃棄すると10000円近い金をとられるようになったことや、液晶画面の製造費用が下がったことでブラウン管テレビは徐々に衰退し、2005年にブラウン管テレビと薄型テレビの出荷台数が逆転。5年後にはブラウン管テレビの出荷はほぼ0になり、「ブラウン管」自体光の速さで死語になってしまいました。南無!
さて、わずか数年のうちにブラウン管テレビの大量殺戮を成し遂げた薄型テレビですが、現代広く普及している液晶テレビと覇を競ったもう一つの薄型テレビがあったことをみんなは覚えていますか……?
パナソニックの経営を揺るがせ、日本経済の黒歴史となった
プラズマテレビ
液晶テレビが苦手とした大型テレビに強みがあって一時期普及しかけたものの、技術革新が進んで大型の液晶ディスプレイが作れるようになって棲み分けが崩れたことや、大食いで電気代が高くつくことが嫌われて2008年をピークに市場からフェードアウトし、2014年で生産終了となってしまいました。
こんな感じで2000年代のあいだにブラウン管→ハイビジョンブラウン管→プラズマ→液晶とびっくりするぐらいのスピードでテレビ事情が変わりました。
ここ10年は液晶テレビが圧倒的な覇権を握って安定してるけど、VRの普及とかでまた変わったりするかもね。
■参考文献
経済産業省産業活動分析平成22年4~6月期
Cnet Japan プラズマテレビはなぜ衰退したか--旗振り役パナソニック会長退任へ
switch版のAIRが出ましたね。
PSvita版についていた外伝が付くというので買いました。vita持ってないので……。
そんなわけでビックカメラに行ったので、ついでにオーディオも見て回りました。ここ数年うちのCDプレイヤーの調子が悪くて、天に召されるのも時間の問題になっているので新品がほしいのです……。
音楽なんてYoutubeからダウンロードして聞けば十分だろ?CDならPCで取り込んでスマホに転送すればいいだろ?と言われそうですが、
昔作ったMDが結構残っているのでどうしても実機が欲しいんですよ……。
PCじゃMDは読み取れないじゃないですか。
だがしかし!オーディオ売り場を探してもMD再生が可能なオーディオ機器が全く見当たらない……。
天下のビックカメラだというのに!
突如としてF市内から姿を消したMDプレイヤー。その謎を解明するため、我々調査隊はAmazon.comの奥地へと向かった――。
Amazon.comの奥地で我々調査隊を待ち構えていたのはありえない値段に吊り上がったMDプレイヤーたちでした。新品で買おうとすると
安いものでも10万円弱、人気のウォークマンだと20万円超え。アイフォーン最新機種の13Proが18万と言えば、そのお値段の異常な高さは実感できるでしょう。中古の方も1万以上はザラで、5万円前後が相場のようです。いくら平成懐古趣味が流行りつつあるといってもこんな法外なレベルで値上がりするのはおかしいので、
生産停止にでもなったんじゃないかと嫌な予感が頭をよぎります。
その通りでした
2020年1月をもってMDの生産は終了し、販売も在庫が切れた20年12月で終了していたみたいです……。1世代前のカセットテープはまだ現役だというのに……。
手入れさえすれば半永久的に使うことができる昭和のアナログな家電と違って、デジタル時代の平成の製品は様々なハイテク(死語)技術や周辺機器が必要で構造が複雑な分、
消えるときは一瞬で消えちゃうよね。
なので
平成懐古趣味は昭和懐古趣味よりハードルが高いと思うんですよ。その儚さも魅力の一つだと思うんだけど……。
なんか話がそれたけど、今後もMDと付き合い続けるにはどうするのが正解なんだろうね?
ラジオで流れた好きな曲を録音したら曲が終わった後のにトークも数秒入ってしまったり、友達同士でCDを貸し借りしたり、名も知れないアマチュアバンドのMDを誰かがみんなに聞かせたらすごく流行った(あやや)り、大人になったらこのmyベストMDを彼女とドライブに行ったときに流すんだと妄想したり、
いろいろな思ひ出が詰まったMDたちなので、どうにか聞き続けたいものです……。
(↓名も知れなかったアマチュアバンド。インディーズ時代は「世界の終わり」と漢字表記でした。)