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流行


36-06-28

J-pop暗黒時代のDCDKはどんな音楽を聴いていたのか

アニメ視聴がオタク層以外にも広がり、それでいてマルマルモリモリみんな食べたりお昼休みはウキウキウォッチングしたりテレビにもまだ影響力のあった2010年代前半。
新たに生まれたジャンルは順調に発展しつつ、今では廃れたものも最期の輝きを放っていた日本のエンタメ界ですが、一つだけ暗黒時代を迎えていたジャンルがありました。音楽です。
握手券商法のAKBと初回限定版商法のジャニーズがCD売上上位をかっさらい、それをパクったEXILE TRIBE (DQN) やKARAなどアイドルによってオリコンチャートが独占される事態に陥ってしまったのです
音楽配信がギリギリ一般化していなかったこの時代はまだオリコンランキングが影響力を持っていたので、流行る曲も音楽番組でもラジオでも流れるのはアイドルソングばかり。
かろうじて流れるアイドル以外の曲も「マルマルモリモリ♪」「潮騒のメモリー」「女々しくて」など、まだかろうじて影響力を残していたテレビの企画やコミックソングばかり。あ、小泉今日子も昭和の頃はアイドルだったので潮騒のメモリーも一応アイドルソングですね。

そんな感じで2010年代前半の日本の音楽シーンはオリコンというシステムをハックしたアイドルとテレビに焼き尽くされてしまいました。

そんなJ-pop暗黒時代のDCやDKはどんな音楽を聴いていたのでしょうか?

①世界の終わり

この時代に出てきたバンドの中で唯一老若男女広い世代に受け入れられたうえで人気も継続できたであろうグループ。
何度も擦っている話だけど、しょうたの周りではまだインディーズだった頃にMDを誰かがみんなに聞かせたらすごく流行りました。なのでSEKAI NO OWARIではなく敢えてインディーズ時代の世界の終わり表記です。
世界を暗いものと捉えつつも希望や絶望に寄り添うような初期のダークな世界観が思春期の感覚にマッチしたのでしょう。
一般化するにつれ、Fukaseの精神状態が安定してきたのか、それとも世間に迎合せざるを得なくなったのか、RPGあたりで厭世観みたいなものは消えてしまったけど……。

②いきものがかり

男性ボーカルで人気だったのがセカオワなら、女性ボーカルで人気だったバンドがいきものがかり。
なんかあったらとりあえず「じょいふる」で盛り上がるのが平成20年代中高生です。

④アイドル

J-pop暗黒時代の戦犯とはいえ、アイドル戦国時代なので、みんなアイドルソングを聞いていましたよ。
殿堂入りのAKB以外だとしょうたの周りでは℃-ute、Perfume、ももクロが三大派閥でしたが、治安のよろしくない地域だとE-girl派もいたようです。
女子の間ではフォーメーションダンスで人気を取り戻したモーニング娘。もまあまあ人気でした。
ベリオタ (Berryz工房オタ) だった中野お兄さんは、℃-uteオタのリア充と娘。オタの女子に囲まれて肩身の狭い思いをしながらハロコンを見ていました。しくしく……。

⑤ボカロ

まだオタクのものといった印象の強かったボカロでしたが、マトリョシカとかパンダヒーローとかハチ (米津幻師) はオタク以外も聞いていました。今の子と変わらんね。
あとは千本桜とかも聞かれてたね。
あとほぼ日Pの行きます!カラオケ一曲目はカラオケの定番ソングだったよ。

まとめ

2010年代前半は新たなグループがほとんど出てこなかったので、青春パンクとガールズバンドが消えた代わりにボカロとアイドルが出てきた以外は00年代とあまり変わっていないような……。
この時代の中高生=平成一桁後半生まれが聞いていた音楽はちょい上の平成一桁前半生まれ世代とそんなに変わらないと思うっちゃね。
しょうたも年下とカラオケに行くと、ミセス?グリーンアップル?え、えっ?ってなるけど、5~6歳上の先輩となら楽しく歌えるよ。
36-06-28

平成20年代前半のDKがバッグに入れていたもの

世のy2kブームでスクバ (スクールバッグ) が復活しているらしいです。
渋谷109にあるようなブランドも作っていてファッション性も高いし、再評価されてしかるべきものだと思うっちゃね。
さて、そんなスクバの流行った時代から少し後の平成20年代前半の高校生の間では、スマートでデザイン重視なスクバとは対照的に実用性重視でデカくてゴツいエナメルバッグ (鈍器) が流行っていました

スクバはもちろん現代の高校生のスタンダードアイテムのホモランドセルと比較してもデカいバッグに一体何入れてるんだ?って話だけど、あの頃の高校生は教科書以外にも色々なアイテムをバッグに入れていたのです。
ということで、今日は平成20年代の男子高校生が何をアレに入れていたのか振り返ってみます。

①携帯音楽プレイヤー

まだガラケー派やガラケーすら持ってない人もいたし、スマホを持っていても通信環境が今ほどよくなくて気軽にYoutubeを開けたわけではなかったので、音楽を聴くためにウォークマンや今はなきipodを持ち歩いていました
ウォークマンと言っても世間一般が思い浮かべるMDのアレではなく、NW-S730F系のメモリー式ウォークマンです。
既にMDは家のプレイヤーで中学の時 (まだウォークマンを持ってない頃) に録音した曲を聞くときぐらいにしか用いられなくなっていたからね。

②漫画

スマホは普及途上で、割れはあっても公式の配信は充実してないし、電子書籍も普及していない平成20年代前半では、まだ漫画は紙の本で読まれていたので、通学中の暇つぶしで漫画を読むには紙の本が必要でした。学業に全く関係ないものなので当然持ち込み禁止で先生に見つかるとボッシュートされていたけど面白いから持ってきちゃうよね。
エナメルバッグの底に入っている中敷の下に隠して持ってきていました。アレ禁止アイテムを学校に密輸するのにすごい便利だったよな……

発売日にはジャンプの回し読みをしたり、持ってきた単行本の貸し借りも行われたり紙の本があったからこその文化も華開きました
貸し借りを通じて変な漫画が局所的に流行ることもあって、中のお兄さんの周りだと、不正うpされたアニメとの相乗効果でとっくに打ち切られていた「かってに改蔵」の下ネタをやっていた頃の巻だけが流行ったり、リア充がオタクが持ってきたひぐらしを取り上げてバカにするつもりで読んだらハマったりしたんだって。

③フォグバー

瑛太や三浦春馬がロンドンで「シュッシュ」言ってるCMで一世を風靡したスプレー式のワックス
当時のリア充は昼休みに洗面所で髪にスプレーしていたものだけど、今はドラッグストアに行っても売ってないよね……。

④教科書

通学バッグに教科書が入ってるのは当たり前って言われるかもしれないけど、脱ゆとり教育で教科書は厚くなるし、ゆとり教育が終わった直後の年は教科書の改訂が間に合わなかったのか補足冊子までできるし、教科書でも膨れ上がっていたのです。スクバが廃れたのもそれが一因だと思うっちゃね。
今の高校生は脱ゆとりしてもタブレットで電子化されて荷物が減って楽そうでいいよね。

⑤大きか銀チョコ

西日本限定の話になるけど、福岡のリョーユーという会社が大きか銀チョコというカロリーの塊みたいなパンを出していて学生から絶大な支持を得ていました。たぶん今も人気なはず……。ヤマザキの銀チョコWという類似品には注意です。
大きか銀チョコは早弁、昼食、部活終わり、塾の帰りなどあらゆる場面で大活躍!売店では真っ先に売り切れていたし、家からも持ってきていました!
ちなみに、20世紀以前は同じくリョーユーが出しているマンハッタン (現在も発売中) というカロリーの塊が平成20年代の大きか銀チョコポジにあり、175Rはマンハッタンへの思いを歌った「マンハッタン」という曲をリリースしています。
35-09-14

平成少年たちの大和/YAMATO

先月末、佐賀のデパートの玉屋のレストランが閉店するというニュースを聞いて、玉屋つながりで系列の佐世保玉屋で提供されている隠れた佐世保名物の玉屋サンドがなくなると早とちりしてしまったしょうたは大慌てで佐世保に行ってきました。
もちろんサンドイッチはおいしかったんだけど、せっかく佐世保まで来てサンドイッチだけ食べてとんぼ帰りするのは勿体ないので佐世保バーガーも食べようとハンバーガー屋さんを探して商店街の中を彷徨ってみました。結局食べ物のことしか考えてないのかよっ!
それで佐世保の町中を歩いていて思ったけど、リリースからだいぶたつのに相変わらず「艦隊これくしょん」って人気だね。パネルとかポスターがいたるところに飾られているし、聖地巡礼に来たとおぼしき艦娘の缶バッジつけた提督 (艦これのオタク) がウロウロしているのも見かけました。
今では痛い言動がみんなに笑われているハゲが放送作家としてみんなを笑わせていた頃に書いた「永遠の0」が大ヒットしたこともあったし、海軍関係のコンテンツは定期的に流行りますね。泥臭くてダサいイメージのある陸軍と違ってかっこいいから?

さて、00年代半ばにも旧海軍関係の大きなブームがありました。
当時の世界最大にして戦艦時代の最後を飾った大日本海軍の戦艦

大和

です。
タカラ (当時) やディアゴスティーニなど各社がこぞって大和の模型を出したり、大和の新写真が発見されたニュースが新聞の一面を飾ったり、「ドラえもん」でラジコン海戦の話がリメイクされ「かみちゅ!」でも戦艦大和をテーマにした話が作られたりアニメにも影響が及んだり、軍靴の幻聴を聞いた左翼がお気持ち表明したり、大和が社会現象になりました。

ブームの火付け役は平成17年4月に呉市にオープンした旧海軍の歴史を中心とした船舶技術を展示する博物館「大和ミュージアム」でした。
目玉となった1/10スケールの大和の模型や構想から開業までの10年近くに及んだ入念な準備が功を奏し、初年度には地方の博物館として異例の年間161万人もの来場者を集める人気観光地として注目を集めました。どれぐらいすごいのかわからないので参考までに晩年のスペースワールドと晩年のとしまえんの年間来場者数を記しますが、それぞれ164万人と112万人なので有名テーマパーク並~それ以上の人が来たことになります。
こうして世間で戦艦大和への関心が高まる中、タイミングよく戦艦大和を題材にした映画「男たちの大和/YAMATO」が公開され、平成17年の邦画興行収入1位・制作元の東映史上でも2位を記録する大ヒット作となり、博物館と映画の相乗効果で大和のブームはさらに加熱
その後も大和ブームに便乗して大和ミュージアムの隣に海自の潜水艦の展示施設「てつのくじら館」が建てられたり、関心が高まったおかげからなのか大和に関する研究が進んで新発見も相次いだこともあって、しばらくブームは続きました。

海軍は高度経済成長期も昔から何度かブームを起こしてはいたそうですが、今回のブームで特筆すべき点は若い世代にも受け入れられたことでしょう。
「男たちの大和/YAMATO」公開時にも東映上層部は観客のメイン層は50代と踏んでいたように、業界では戦争関係の映画に興味を持つのはオッサンというのが常識とされていたみたいですが、制作指揮をとった角川春樹は10代・20代にも見てもらいたい映画を目指し、実際に「男たちの大和/YAMATO」は泣ける映画として若者にも受け入れられました
話のつかみの部分で出てきた大和ブーム後の「永遠の0」が幅広い世代に受け入れられて大ヒットしたのも、この大和ブームが海軍関係の話への間口を広げたおかげかもね。