しょうた旅―呉編
もしロシアが日本を攻撃するなら、北海道、新潟、仙台だけでなく各地の自衛隊の拠点も危ないと思ったので、破壊される前の呉市の最後の姿を残しておこう (縁起の悪いこと言うな……) と呉に行ってきました。
幸い何も起こらなかったけど。
というわけでしょうた旅「呉編」行ってみよう!!所用があったので旅の始まりは少し遅め……。
まずは呉駅前にあるバスの営業所で呉市内バスの1日券を購入しようとしたけど、さっそく迷った……。
こういうのって大体駅前バスロータリーに面した建物の1階にあるものだけど、なぜか呉駅前のバス案内書は駅の真横から延びるあまり賑わっていない通りに面した市営駐車場の2階に所在。
気づくかそんなもん。
バス案内所に行くための案内所の必要性を感じたレベルでわかりづらいから呉に行く人は気を付けてね。自衛隊や旧海軍関連の施設には午後向かうので、午前中は呉市内中心部を散策する。
呉の中心部は駅から少し離れた本通地区。そこそこ大きめの規模の商店街が広がっている地方都市の中心部らしい風景。
この商店街、佐世保とか横須賀とかむつとか他の地方隊所在地と違って観光客向けの場所や店も全然なくて普通の人目線ではこれといった特徴もない町並みなんだけど、平成の男子小学生的には平成中期っぽくて何とも言えない懐かしい気持ちになる風景だった。
車道と歩道の境界に置かれた花壇、バブルの頃にかけ替えられたであろうスマートで綺麗なアーケード天蓋、LED点滅式の電照看板、再開発ビル……。
一見どこにでもある現代の商店街なんだけど、その一方で変な名前の食パン専門店やインスタ映えを狙ったような喫茶店、ドラッグストアなど最近各地の商店街で増殖している施設は全然なくて少し不思議な感じ。
戦前のカンストしていた時期を除くと呉の人口のピークは2005年頃らしいので、その頃で開発が止まっているのかもしれない……。
田舎に行くと古臭い商店街が昭和レトロをアピールして老害から人気の観光スポットになっていたりするけど、呉はシャッター街化などを回避して今の街並みを維持できれば平成タウンとしてお兄さんから人気の商店街になれる気がする。なれ。
さて、しょうたは平成の男子小学生なので遠くの街に行くとおもちゃ屋さんに行ってビーダマンやチョロQの在庫が残っていないか漁りに行く習慣がある。
なので今回の呉本通の散歩でもクレアルという再開発ビルの中にある玩具屋に行ってみた。
残念ながらこの玩具屋はミニ四駆専門だったから収穫は0だったが、同じフロアに入っていたゲーセンには20年前ぐらい前のゲームというレトロゲームに含めるべきか含めないべきか微妙なラインの筐体が大量に並んでいた。やっぱ呉は平成10年代を今に伝える平成レトロタウンですよ。ええ。
呉と対岸の倉橋島の間にある短い海峡の音戸の瀬戸は、日招きなど開削に携わった平清盛の様々な伝説に彩られ、戦国時代には小早川水軍の本拠地になたとも伝わり、現代では日に数百隻の船が行き交う瀬戸内海航路の要衝であると同時に日本最短の渡し船や
本通から音戸までの直通のバスは日に数本だけなので、まずは途中の乗換場所までのバスに乗車。
港町というだけあって呉は坂が多いのでバスはメイン通りを出て右に曲がるとすぐに坂をかけ上る……というか登山だねこれ。
坂が多いせいなのか呉ではバスの利用率がやたら高いようで、平日の昼間にもかかわらず満席。
しわしわのご老人が何人か立たれていたので車体が大きく揺れるたびに彼らが転ばないか見ていてひやひやしたけどみなさん意外としっかり立っているもので呉の老人達の足腰の強さに感動。
元自衛官なのか……?
いや、年齢的に海軍士官の可能性も……?
バスは武蔵浦和も真っ青の1丁目から13丁目まで10個以上存在する宮原〇丁目バス停に止まり続け、20分ほどで音戸方面への乗り継ぎ場所になってる警固屋営業所に到着。
「警固屋」は難読地名らしいけど福岡にも「警固」があるので普通に読めた。地名の由来はこっちと同じなんだろうか……?
乗り継ぎはよくてすぐに音戸を通るバスに乗れ、5分ほどで音戸渡船前のバス停に到着。
バス停を渡ってすぐのところにローカル線の無人駅の駅舎のような小さな渡船乗り場の建物が見える。
大量の老人でごった返していたさっきのバスターミナルとはうってかわって、穏やかな音戸の瀬戸をバッグにたたずむ渡船乗り場はとても静かで人影も全くない。
……本当に静かだ。
…………。
…………。
人の気配すらない。
…………。
…………。
聞こえてくるのは波の音、国道を走る車のエンジン音、トラックが通って軋む橋の音ぐらい。
…………。
…………。
とても静かだ。
…………。
不気味なぐらい静かだ。
いくらなんでも人がいなさすぎる。
てかなんで渡船乗り場の入り口が封鎖されてんだよ?
…………。
おや、なにか張り紙が……。
事業廃止のお知らせ
ナ ナンダッテー!!Ω ΩΩ
コロナで利用者が減ったせいで音戸渡船は去年で廃止されたらしい。
なんかもうどうでもよくなったので清盛塚とかは見ないで警固営業所に戻った。次のバスまで時間が空いていたのでとぼとぼ歩いて帰った。
口の中でかすかな塩味がしたのはたぶん潮風のせいじゃない。
今度はこれに乗ってアレイからすこじまという潜水艦を見れる公園に行く。
潜水艦の配置は呉と横須賀だけなので、なかなか貴重な場所だ。
道中では今年閉鎖される新日鉄呉製鉄所が見えてくる。
こうやって造船所のドッグのクレーンと一緒に赤茶けたプラントを見ることができるのもこれが最初で最後と風景を目に焼き付けておく。
防衛費増額とかニュースでやってるし、製鉄所の跡地は造船所か自衛隊の施設にでもなるんでしょうね。
そうこう考えているとアレイからすこじま最寄りの「貿易倉庫前」という歴史を感じられる響きのバス停に到着。
バス停の名前の通り、れんが造りの古い倉庫が立ち並んでいて関内や函館っぽい明治なハイカラ風味を感じるが、倉庫の横には「トランクルーム」と看板が掲げてある……。
間違いなくここは日本で最も美しいトランクルームだろう。
もっといい使い方他にあるだろ……。
倉庫から反対側が公園になっている。横須賀のヴェルニー公園に似た雰囲気。
ガイドで読んだ通り潜水艦や、潜水艦と同じく呉と横須賀にしかいない潜水艦救難艇が見える。
見える。
見えるには見えるけど望遠がないとはっきりとは確認できない……。
潜水艦をじっくり観察したい人は必ず望遠鏡か一眼を持っていこうね。
一応潜水艦は見たのでそのまま呉駅前に戻って大和ミュージアムにでも行けばよかったんだけど、「子規句碑前」というこれまた歴史を感じさせるバス停に心惹かれて途中下車。
子規句碑前バス停はIHIの真上にある高台に所在していたので、バス停からはドッグで空母化改造中の「かが」が丸見え。 こんな至近距離で真上から護衛艦を見れることなんてなかなかないので本当に貴重な体験をできました。
バス停の近くには戦艦大和の記念碑もあったし途中下車して正解だった。
…………。
ん?
……何か足りない。
大事なものを忘れてるような……。
……あああああ!
正岡子規の句碑を見るのすっかり忘れてた!!
大和ミュージアムは今回行かなかった入船山公園や存在を忘れてしまった子規句碑と一緒にまたいつか行こう。
てつのくじら館は自衛隊が運営する潜水艦に関する博物館で、退役したあきしお (潜水艦) の艦内の一部を見学できたりもする施設だ。
最近展示内容のリニューアルがあったようで、掃海 (機雷除去) についての展示がとても充実していた。
やたら詳しい機雷の解説や機雷や掃海用の装備の現物の展示もあってとても勉強になりました。
しょうたは11歳なので掃海任務についてはあまり知らなかったけど、戦後すぐの機雷まみれで航行もまばまらなかった状態から航路を確保して戦後日本の復興の基礎を築いた海上自衛隊の歴史についてはもっと知られてほしいと思いました。
潜水艦には撮影禁止ゾーンが多かったので禁則事項に触れないように詳細は記さないけど、こっちもなかなかよかったです。
入場も無料なので大和ミュージアムのついでに寄ってみてね。
つばさ:
ところでお土産はあるん?
しょうた:
うん。
呉で買ったものではないんだけど、呉を感じるものを用意してきたよ。
ちゃーんちゃらちゃーちゃちゃちゃっちゃっちゃっちゃっちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ~。(ヤッターマンのゾロメカ発進のファンファーレ)
つばさ:
これは一体……?
しょうた:
見ればわかるでしょ。
コスプレ用の凪あすの制服だよ。
つばさ:
たしかにセーラー服は海軍っぽくはあるけど……、
凪あすっち聖地三重じゃん……。
しょうた:
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/ i f ,.r='"-‐'つ____ こまけぇこたぁいいんだよ!!
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/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゙フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
呉っていいお土産がないから……。
瀬戸内の魚やメロンパンとか美味しいものは沢山あるんだけど、どれも保存のきかない生ものですぐ腐るし、海軍カレーだと横須賀や大湊にもあるから新しさに欠けるでしょ?
つばさ:
だとしてもなしてセーラー服なん?
だって……
セーラーショタって需要あるだろ!!
表現の自由に目覚める前の未識魚さんの絵とかしょうた大好きだよ!?
つばさ:
うわ、この人自分のことショタコンに需要あるっち言いよるよ……。痛っ。
てかそもそもセーラー服をそういう変な興味の対象として見ないでよ!
自衛官に謝れ!