しょうた日記 平成35年5・6月




35-6-20

もっと共感しあいましょ

しょうた11歳はオレイズムのヨッピーのことを一方的にライヴァル視しております。(去年のイタリア旅行記参照。)
さーてそんなヨッピーがなにやら炎上してるみたいですよ。
ライヴァルが燃えていると聞き、しょうたのハートもバーニーング!もう永沢君の家のように激しく燃え盛っています。さあ、野次馬に行くぞ!しょうたも鼻をかんだ後のティッシュを捨てて微々たるものだけど火を強めるZOY!
…………。
くっせー。
くせーよ。

加齢臭がムンムンするよ!

暴力が抑止力になるって、頭昭和デスカ!?
ゆとり教育によって弱肉強食が否定されてお互いを思いやる心のゆとりが養われた平成キッズが生きるのは、ヒャッハーな (ふなっしーじゃなくて北斗の拳だよ!) 暴力や絶対的な権威への服従によって成り立ってる野球部だか陸軍みたいな蛮族の社会ではなく、相手への共感力と集団への協調が重視される社会です。しょうたは男ガー女ガーみたいな決めつけは好かんけど、昭和が男塾なら平成は女性的な社会といえるでしょう。
そんな平成において抑止力たりえるのは、相手の顔色をうかがったり、強い自己主張をせずに相手の話を聞いたりするような配慮の心じゃないかな?
具体的には、「マカロンが流行ってるね。」と言われて「俺はお菓子は好かん。」「食べたいとは思わない。」とかじゃなくて「そうなんだ~。キミは食べたことある?」「すごい流行ってるよね~。しょうたも食べたよ~。」と共感的な返事を返したり、「昨日コロッケ作ったの。ちょっと失敗して柔らかすぎたけど。」と言われたら「コロッケって作るの大変だから、作ろうとしただけでもすごいですよ~。」と会話の端々での相手へのフォロー&ヨイショを欠かさなかったり、話すときは明るく笑顔でいることを心がけるとか、芸能人のゴシップには一通り目を通して雑談に対応できるようにするとか、そういったちょっと意識するだけで誰でもできるようなことです。

野球部みたいな前近代がまかり通っているジャガイモ畑でもない限り、現代っ子 (後期ゆとり世代) の間でいじめのターゲットになるのは、腕力で劣るヒョロガリじゃなくて自己中だったりハッタショだったりでこういったちょっとした気遣いができずに集団の輪を乱す輩ってパターンが多いでしょ?昭和なら暴力のはけ口にされてそうで、実際昭和的価値観の人々も嫌っているキノコ頭のヒョロガリボーイなんて、現代では虐げられる側どころかむしろ人気者側ですよ……。
たとえ喧嘩ができなくても普段の行いが良ければ集団・世論が味方になってくれるし、共感・対話等のプロセスをすっ飛ばして暴力を行使すれば和を乱す者として糾弾を受けるから腕力が強い者も集団内部の人間には強く出れず暴力なんて振るえないから、きちんと平成仕様にアップデートされた集団においてはお互いを尊重するゆとりあるコミュニケーションを取ることさえできればいじめられたり舐められたりしないよ。
逆にそれができなければ、いくら喧嘩に強かろうが容赦なく排除され、よくて張れ者扱いか孤立、運が悪いといじめのターゲットです
しょうたの親戚の中野おにいさんの中学の部活の3年の先輩に後輩に対して何かとつけて怒って足もよく出してくる奴がいたんだけど、我慢が限界に達した2年の先輩によってそいつに対し無視やおちょくりなどの嫌がらせが行われ、かつての面影もないほど委縮してくれたので部の雰囲気がとても良くなったという素晴らしい出来事がありました。後輩への思いやりの気持ちが少しでもあれば恨みを買うこともなかっただろうし、自業自得ですね。

この時代錯誤的なツイートに賛同している人が案の定それなりにいましたが、肯定的な反応をしている人のプロフを見てみると時代についていけず老害化してしまったオッサンと現代的なコミュニケーションが苦手で社会の輪にも入れず当然女性からも敵として排除されてインセル拗らせてるような奴らばっかりで、前者に対してはとっとと隠居して優しい世界を壊そうとしないでくれという気持ち、後者に対しては浮いてる子が変なことを言ってるのをみんなでニヤニヤ笑ってるときと同じ気持ちを抱きました。

う~ん……ヨッピーって、昔は若者 (まあ本当に若者だったし。)、最近は若者に寄り添うオッサンキャラだけど、少し前のホリエモンのように老害界の若手になりそうで心配です。


☆蛇足☆

昭和と平成のいじめの違いについて書いて思ったんだけど、スマホが全世代に普及した2010年代後半以降ネットの治安悪化が深刻化して今まで以上に炎上が多発するようになった原因って、スマホを手にしてネットに現れるようになった中高年のもつ権威への服従と暴力性が平成的な共感力や協調性と悪魔合体を起こしたせいだと思うっちゃね。
ネット上での所属集団、またの名を界隈にとっての権威であるアルファの言うことを盲信し、アルファに「敵」とみなされた人物や思想や概念への憎悪を所属集団内での共感を通して増幅させ、協力して攻撃していく……みたいな。
35-5-25

九州文化圏と関西文化圏の境界

しょうたメモで「西日本的笑いの衰退」の話をしたときに西日本と関西の笑いの違いを比較たけど、その境界はどこにあるのでしょうか。
広島まではボケ主導の西日本型 (ネプチューン、木下大サーカスetc) 、岡山からはツッコミ主導の関西型 (次長課長、千鳥etc) になるので、広島と岡山の間で笑いのツボが変わるっぽいです。

そういえば、しょうたは資本主義に一石を投じるコーナーでも九州のご当地グルメとしてしれっと一応広島が本社のゆめタウンのちゃんぽんを紹介しようとしたことあった (事故により未遂。) し、広島でもラーメンが食されている (※) し、広島みそも九州と同じく麦みそが作られ西鉄ストアでも目にします。ファミレスのグランドメニューも広島までは九州メニューです。マルキョウ (の系列のマルキュウが広島にはある。) やサンリブといった九州でお馴染みのスーパーも広島が東限だったりします。食文化でも広島までが九州・西日本。岡山からは関西寄りのようです。
街を歩いていても、広島だとやたら赤が目立つ (カープと広島交通バス) ことを除くと九州の主要都市にありがちな街並みや雰囲気でまったく違和感は感じないけど、岡山は駅を降り立った瞬間九州では見ないような街並みに遠くまで来たなと感慨深くなります。
お笑いに限らない九州と関西の文化圏の境が、広島と岡山の間にあると思うっちゃね。

広島と岡山ってネット黎明期から日本で内戦がおきたら県民間で民族浄化が行われてもおかしくないレベルで仲が悪いけど、あれの原因は福岡が発展しすぎて今では聞かなくなった福岡ー北九州や福岡ー熊本の対立みたいな地域間の対抗意識じゃなくて、文化的に相容れないのに同じ地方にぶちこまれてしまってお互いにたまった積年の不満から来てると思うっちゃね。
しょうたは料理に砂糖と甘い醤油の代わりに関西風の塩辛いしょうゆ入れられたり、ラーメンといって醤油臭くて食えたもんじゃない廃液みたいな真っ黒な何かを出されたり、ツッコミによってボケを中断させれたら激おこぷんぷん丸だし、逆に関西人も九州の料理を食べさせられたら「こげん甘いもん。食~え~るか~。」とハリセン振り回しておこるだろうけど、両者が同居する中国地方ではそれが日常風景なのです……。そりゃあそこまで仲が悪くなるよ。
我々九州人は「東京から西だからって一緒にするんじゃねー。」「西日本の中心は福岡たい。大阪は出しゃばんな。」と関西に対して腹の中ではかなり強い不満を抱えているものだけど、それが表面化して九州関西の地域間対立が大きくなっていないのは、間の中国地方で広島と岡山が冷戦時代のような泥沼の代理戦争を戦ってくれているおかげなのかもしれない……。

中国地方なのに西日本らしくない岡山は関西にねじ込んであげて、岡山と同じく西日本らしくない鳥取は砂丘の砂で埋めたら隠せそうな存在感なので県の存在そのものをなかったことにし、代わりに中国地方の空いた枠に九州ではやや浮き気味の北九州と大分を暖かく迎え入れたら丸く収まると思うので、国会議員の皆様は中国地方の再編を考えてみませんか?
(※)ラーメン……しょうたは豚骨以外はラーメンと認めていません。
35-5-14

1万アクセス達成しました!!!

こんこん^^ 激おここんこん丸なしょうたです!
記念すべきキリバン1万が……踏み逃げられました!
かなりショックです。本気で怒ってます。
スラックスの中に入ってる予備ボタンをなくしてボタンが取れた時に困ってしまう呪いをかけたから覚悟しろよ?

……と、いつも通り踏み逃げられることを予想して怒りの文章を用意して、キリバン1万に備えてたんだけど……

自分でキリバン踏んじゃった!

悲しい出来事でした……。

さ~て、いつものしょうた11歳的な平成話だけど、いにしへのネットには、キリバンを踏んだ人にポエムを送ったり絵を描いたり、何か特別なお返しをする風習がありました。
が、しょうたが踏んでしまった!
自分で自分にスッペシャルな文章を書くのは、2月14日にデパ地下で売れ残って安くなったゴディバを自分で買って自分で食べるような空しさがあるのでやめました。
自分で自分に絵を用意したけど (気になる人は拍手を送ってみよう。) 、「おじゃる丸」のエンディングに出てくる視聴者のお子達の描いたイラストのクオリティ……。
悲しい出来事……だけど、しょうたは11歳児だから仕方ないか!てか気になったんだけど「おじゃる丸」のおたより紹介って今もやってんの?

次のキリバン11111を取った人には、しょうたに対して何かしらの質問をする権利とか、ホームページを勝手に紹介して勝手に感想を述べられる権利とか、キリバンを踏んだ者としてサイトのどこかに名前を刻まれる権利とか、オプーナを買う権利とか、何かしらスッペシャルな特典を用意しようと思う (どれもいらね~。) ので、お楽しみに!
どの権利が欲しいかは、キリバンカキコに一緒に書いといてよ。何も書いてなかったら、適当に何か与えるから。
じゃあまた。おやすみ。
35-5-04

ファッション化する平成ノスタルジー (怒)

しょうたがVNIデビューした日を覚えてますか?
――平成33年9月10日です。

もう1年半以上やってるってこと!?

平成のVNI再現のジョークサイトが、よくそんなに続いたもんだね……。
こんなサイトを1年半も管理し続けるなんて、管理人の中野陽斗おにいさんは絶対正気じゃない!
でも、1年半も続けてると取り巻く環境も色々変わってくるものだよ……。
たとえば、しょうたがVNIはじめたきっかけは世に渦巻いていた昭和は良かった論へのアンチテーゼと、楽しかった過去を思い出させて当時色々大変だった中野さんを励ますためだったケド、中野さんはすっかり元気ぴんぴん丸だよ。
…………。
暗い話はやめよっか!
あと、しょうたのついったでの名乗り口上は
一周回って新しくならない平成の文化や生活を振り返ったり、振り返らなかったりします。
だったけど、1年半の間に時代がひとまわりして、平成は一周回って新しくなったね。名乗り口上変えなきゃ……。

テレビでは毎週のように「平成レトロ」が紹介され、「ロックマンエグゼ」はミリオンヒット!
「写ルンです」も品薄で購入制限だし、中古のガラケーも高騰中?なのになしてしょうたのアクセス数は増えんと!?

こんな感じでまさに時代は大平成時代
平成少年のしょうたも平成文化が再評価されて嬉しいし、流行を先取りしたことで流行に流されておろおろする子羊どもへの優越感に浸れるので大満足です!
です!
……でしたけど~。

なんか違うくない?

実際平成文化をまじめに振り返ってる人はごく一部で、大多数は表面上の雰囲気だけを楽しんでいるというのか……。
先月の日記でも「デ・ジ・キャラット」が新世紀の秋葉原の象徴としての側面だけが取り出されてアイコン的に消費されてると批判したけど、巷に溢れているのはファッション感覚の表面的なもので、オリジンへのリスペクトのない平成懐古ばかり!
でじこの他にも、実店舗の閉店が続いて消滅の危機に瀕している平成の遺物「ドムドムハンバーガー」が、ここ最近店のロゴ (ドムぞうくん) だけが人気なようで色々なグッズが作られ、果てはドムドムの店舗のない北海道にドムドムを意識したホテルの部屋までできているそうです。いや、おまいらそんなもん買ったり泊ったりするより普通にハンバーガー食べろよ!惣菜的な味付けで美味しいじゃんドムドム。しょうたわざわざ笹丘のダイエー (イオンとは呼ばない。) のドムドムまで食べに行ったよ!?
あとは、数か月前にネット蟲毒ことついったで議論になった、オタクに優しいギャルとしてところどころそれっぽいだけでギャルとは言えない女がギャルと呼ばれている問題も、似たようなものでしょう。
世にいるのは「マイナーな文化に詳しい俺カッコいい。」あるいは「インスタ映え~。」ってファッションとして平成を表面的に消費するやつばっかりで、まじめに平成を振り返ってる人なんて全然いない!

絶望した!平成懐古に絶望した!

しょうたは昭和歌謡 (シティポップ・カバーやアレンジで平成ナイズされて現代風にアップデートされたものは除く。) を聞くと耳から黄色い液体がドバドバ出てくるぐらい昭和が嫌いだから、爺や婆でもないのに昭和文化にハマってる若者のことは軽蔑してたけど、元となる時代の文化や背景を尊重してる姿勢は評価してやります。 (上からショウタ、さでぃすてぃっくな奴め!)
まあ、洗練されていてファッション感覚で身にまとっても違和感のない平成文化と違って、周囲からの浮きに耐えられるほどの本気の愛がないとダサい昭和の懐古なんて無理だから、ガチ勢しかいないって違いもあるかもだけど……。

こういった表面的な平成の消費は、あの素晴らしい文化を作った人々に失礼だし、令和の感覚で当時なかったものを勝手に上塗りしたり、一部の要素だけを抽出して残りを捨てて書き換えていくのは、今後平成文化を振り返ることを困難にする悪質な歴史修正主義、文化汚染でもあるから、どげんがせんといかんばい!
しょうたはこうした平成文化のファッション消費に対抗するため、これからも平成の文化や生活や出来事を、当時のおもひでやネットの大海で漂流する当時の資料を元に表面的な部分以外も含めて振り返っていく所存であります。

……と怒ってみたけど、「楽しくなければテレビじゃないじゃ~ん!!」なんて言ったように面白いのが正義だった平成人は令和の今以上にファッション感覚で色々な文化を好き勝手弄っては楽しんできたから、平成ノスタルジーがファッション化されていることこそが一番の平成懐古なのではと思ってもみたり……。
中途半端な平成懐古こそが実は一番の平成懐古芸であり、平成文化が平成しぐさによって壊されるというのは、なんという皮肉だろう……。
ちなみに、永遠のゆとりキッズであり、「あまちゃん」「マルモのおきて」をやってた頃まではテレビっ子だったしょうたも当然おもしろさ至上主義はインストール済みなので、面白いと思えるぐらい素晴らしい平成文化改変があったら掌返しで称賛するかもしれません……。
さあ、平成を超える平成文化を作って (何だその日本語。) 、しょうたを楽しませてみろ!!