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食べ物

36-03-01

福岡県内に残る玉屋の名残・北九州市役所玉屋食堂へ行く!

※今回は以前のしょうた日記を再編集した内容です。

サンドイッチで有名な佐世保のデパートの玉屋の閉店が決まった

そうです。
玉屋は佐賀と今回閉店する佐世保の他にも、平成中頃までは福岡と小倉にもあり、割と最近まで長崎にもあって井筒屋や山形屋と並ぶ九州を代表する百貨店だったのにものすごい凋落ぶりですね。一応長崎玉屋はタワマン2階の空きテナントだらけのフロアというあまりにも変わり果てた姿で再オープンし、長崎市民からも「新大工町のアレ」「玉屋を自称する空間」「墓標」などと呼ばれ親しまれていない親しまれているようですが……。 (詳細は変人窟たびさんのTwitterを見てね)
残る佐賀玉屋も上層階が閉鎖されてしまったり、経営難で会社そのものも創業家の田中丸家から投資ファンドに禅譲されたり、満身創痍な状態です。
まあ、倒産して三越になってしまった岩田屋や、屋号すらもなくなった寿屋よりはマシかもしれません……。
そんな玉屋の過去の栄華を偲ばせるものが2月まで北九州にあったので、なくなる前に行ってきました。

目ざす先は、西小倉駅から徒歩10分。実は小倉玉屋の新店舗になるはずだった建物のリバーウォーク北九州の裏側にある北九州市役所。その地下にある

玉屋食堂

福岡県内にも玉屋があった頃の名残で、北九州市役所の食堂を玉屋が請け負っていたのです。
同種の店は各地の玉屋や福岡空港にもあったのですが、平成35年夏の佐賀玉屋の飲食店フロア閉鎖と同時に玉屋は飲食店事業から撤退してしまい、ここが最後の生き残りとなっていました。

では行ってみましょう!
百貨店がやっているだけあって、ショーケースに食品模型が飾られていたり入口からして市役所の食堂とは思えない特別な雰囲気が漂っています。
壁には玉屋のロゴが大きく貼ってあって、この食堂が名門デパートの運営であると主張しています。
デパートのファミリーレストランそのものです。

これは期待できる……と中に入ってみたら、ボロいし殺風景……。田舎の国道沿いの廃れたうどん屋のような何の飾り気もない椅子と机が整然と並べられています。スピーカーからエンドレスで流れるオルゴールアレンジの北九州市歌も寂しさを掻き立てます。壁には北九州空港と北九州漫画ミュージアム「浦安鉄筋家族展」の広告がべたべた貼られまくっていて雰囲気なんてありません。
ごく普通の市役所の食堂を目の当たりにして「わざわざ食べに行くほどの店ではなかったのでは?」と一抹の不安が浮かんだものの、とりあえずかつ丼を注文。
日替わりの「玉屋定食」は作り置きしたものをベルトコンベア方式で列に並んでいる人に渡していくだけでしたが、丼ものは注文を受けてから一個一個丁寧におつくりしているようでしばらく待たされました。
北九州市歌を3周ぐらい聞かされたあたりで「出来ました」と呼ばれ、かつ丼と漬物の小鉢と味噌汁ののったお盆を受け取ります。お皿はしょぼいけど、料理自体は見た目普通においしそう
さあ、味はどうかな……?

まいう~

カツそのものは、こういう場所にしては美味しいけど普通のお店で食べたら別に美味しくはない程度の味だったけど、お出汁がおいちい。周りの卵やたまねぎにはしっかりと出汁の甘い味がしみ込んでいる。あと卵もいい感じの柔らかさ!カツ以外は540円とは思えないクオリティです。
カツはどこかの工場から送られた出来合いのものを使っているっぽいけど、卵や出汁は文句なしの絶品。もしかしたら玉屋のレストランのレシピを使っているのかもしれません (※) 。最近まで玉屋レストランのあった佐賀県民の感想を聞きたいところです。

百貨店業界は非常に厳しいようで、地方は言うまでもなく、首都圏でさえも池袋が池袋たる池袋の象徴の西武がヨドバシに乗っ取られてしまったり、東急の閉店が相次いでいます。
デパートのレストランも、豊かだった平成へのノスタルジーの象徴として振り返られる日が来る (もう来てる?) のかもしれません。
(※) 後日閉店を報じるニュースを見たところ、小倉玉屋のレストランで働いていたシェフが移籍して腕を振るっていたようです。
36-02-10

やっぱ平成のコンビニはポプラやね

ローソンがKDDIに買収されてしまったそうです。
ポプラやスリーエフなど多くのコンビニを乗っ取ってきたローソンも携帯電話会社の資金力にはかなわないのですね。
ファミリーマートがサークルKサンクスを乗っ取ったと思ったら自らも伊藤忠商事に乗っ取られてしまった平成の故事を思い起こさせます。

思えばコンビニも平成の間に随分と減ったものです。
ポプラ、スリーエフ、サークルKサンクス以外にも、am/pmとか、エブリワンとか、ココストアとか、コミュニティストアとか……。
まあ、正確な話をすると、ポプラに関しては激減したとはいえ実は全店舗はローソン化されず、まだひっそりと残っているのですが……。 ということで、今日は令和の世を何とか生きる平成の懐かしいコンビニ・ポプラについて振り返ってみようと思います。
そもそもポプラって?
ポプラは1974年に広島の繁華街・流川で創業したコンビニです。
90年代のキャッチコピーが

やっぱ九州のコンビニはポプラやね

だったのでよく九州のコンビニだと勘違いされていますが、広島発祥です。
ですが、広島では影が薄く、代わりに長くセブン未進出だった山陰でトップシェアを握っていて、

「広島が本社、九州を自称、山陰で圧倒的」

というよくわからない状態になっていました。

全盛期には西日本だけでなく、関西、首都圏、北陸にも進出し、防衛省前にテレ朝の番組とのコラボ店をオープンさせたり、秋葉原駅のヨドバシ側に店舗に出店してオタクに親しまれるなど、中堅コンビニとしての地位を築きそれなりの知名度のあったポプラ。
しかし、00年代後半以降のコンビニ市場の大手による寡占化の進行や、地盤の山陰へのセブンイレブン進出によって大打撃を受け、一時は会社の存続が危ぶまれるほどまで経営は悪化し、ローソンのフランチャイズに加盟して大半の店舗をローソンに転換。
店舗数は全盛期の1/5以下まで減って現在では絶滅危惧コンビニとなっています。

ポプラのおもひで

①ポプ弁
ポプラといえばポプ弁
ごはんの入っていない弁当をレジに持っていくと、店内で炊いた炊きたてのごはんをついでくれます。
ご飯を大盛にすると、ふたが閉まらなくなるほどの大盛ご飯が出てくるので、主に学生や労働者の間では高い評価を受けていました。
また、お米だけを買うこともできたので、店周辺の飲食店からもごはんが切れたときの緊急調達先として重宝されていたとか。
漫画家の河合克敏など著名人にもファンは多いそうです。

②彩家ベーカリー
ポプ弁が有名だけど、今はなきプライベートブランドのパンの「彩家ベーカリー」もかなり美味しかったです。
九州のご当地パンメーカーのリョーユーパンが下請で作ってたので、この世の終わりのような色合いで知られる「カステラサンド」など九州でお馴染みの菓子パンがパッケージだけ変えてほとんどそのまま出てたりしました。
やっぱ九州のコンビニじゃないか!
③肉まん・あんまん
大手との資金力の差なのか、ローソンなど他のコンビニが自社開発の肉まんを置く中、ポプラは井村屋の肉まんをそのまま売っていました。
ポプラと聞くと、カウンターに鎮座する平成初頭っぽい書体で「肉まん・あんまん」と書いてあるゴツイ保温器を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
最近開業した店舗にも置いてあったので、ポプラの店舗数が激減した今もあの保温器の新規製造は続いているみたいです。
④テーマソング
「ベリーグッドポプラ」というテーマソングが存在し、平成初頭にはTVCMなどで使われていました。ポプラのサウンドロゴの「ベリーグーポープーラー」もこの曲のサビの部分の抜粋です。
その後、時間の経過とともにベリーグッドポプラは忘れ去られ、長くポプラにはテーマソングのない状態が続きましたが、平成26年に歌い手の伊東歌詞太郎の「ポプラの丘に風吹く」を新テーマソングに採用。コラボ企画なども行われました。
が、版権料が問題になったのか、せっかくの新テーマはすぐに流れなくなり、代わりに「ベリーグッドポプラ」が十数年の眠りから目覚めまさかの復活。
復活当初は時報として使われていたものの、気づけばエンドレスで店内放送で流れるようになっています。
⑤山賊むすび
ポプラで販売されている色々な具の入った巨大なおにぎり
さけや明太子といった海鮮系の具材の入った姉妹商品の海賊むすびもあるよ!
ちなみに、山賊むすびというのは、山口県のファミレス「いろり山賊」発祥の料理で、広島・山口両県で愛されているご当地グルメで、セブンイレブンも中国地方限定で販売しているようです。
⑥コピペ
先日、父親の運転で親戚の家に行ったんだが、帰り道に「ポプラ」へ寄ることとなった。
で、俺が何気なく「チ○ポプラ」って口走ったら、運転中にも関わらず父親が俺を殴り始めた。
それだけでなく「33歳にもなって、そんなことしか喋れないのか!」とか意味不明なことを言い出して
終いには涙をボロボロ流し始めた。
何が父親に起こったかわからないが、とにかく不気味な何かを感じたな。
36-01-25

平成に広がったラーメン・小郡系ラーメンの話

世間では、博多のラーメンの代表は一風堂と一蘭ということになっているそうです。
一風堂はラーメン (しょうたは九州人なので、豚骨以外はラーメンと認識していません。) という食べ物を全国に広めたラーメンの伝道師だし、龍の家や天風堂など県内にも暖簾分けの人気店を輩出しているので納得だけど、一蘭、お前は違うだろ。
入るのは観光客ばかりで値段と意識の高さで地元民には嫌われてるし。それに、そもそも博多ラーメンかも怪しいよなお前。
厳密には

小郡系ラーメン

だろ。
ということで、今日は平成の間に福岡に定着し、一蘭によって全国区になった、けれど一蘭が博多を自称するせいで福岡県外での名称の知名度は極めて低い「小郡系ラーメン」の歴史を語ります。
これを読めばキミもラーメン、そして一蘭について通ぶれるぞ!
まず、小郡系ラーメンとは何なのか。
小郡系ラーメンは、麺の真ん中に辛みそをのせ、甘みのあるスープと普通の博多ラーメンよりさらに細い極細麺が特徴のラーメンです。本家本元の (ここ大事) 一蘭が、福岡から急行電車で30分ぐらいのところにある小郡市に店を構えていたことから小郡系と呼ばれています。
なお、味集中カウンターやアンケート用紙注文は現・一蘭が勝手にやっているだけなので小郡系の構成要素ではありません。

その一蘭のルーツは昭和35年に福岡で創業した屋台「双葉」に遡ります。
今日の福岡では博多ラーメンとは別の独自のカテゴリーとして扱われていますが、一応ルーツは博多ラーメンなのです。
この双葉が店を構えるにあたって小郡に移転し、字画が悪いと改称してできた店が一蘭です。
一蘭はこの頃から小郡では人気の店だったそうですが、店主の中原氏の体調不良で閉店の危機に陥ります。
しかし、常連客からの存続を求める声が大きかったため、常連客向けの会員制ラーメン店として規模を縮小してなんとか営業は継続。現一蘭が会社沿革から小郡一蘭の歴史を抹消しているにもかかわらず、なぜか自慢している日本初の会員制ラーメン屋誕生の瞬間です。
そんな常連限定の営業もやがて厳しくなり、一蘭はついに閉店。

小郡系ラーメンの歴史・完。

ってならないから!
むしろここからが本番です。

どうしても一蘭の味を忘れられない常連客達が一蘭の暖簾を譲り受け、中原氏の監督のもと、平成5年に福岡市那の川にてラーメン屋・一蘭をオープンさせます。これが今の一蘭です。
田んぼと毎年夏になると水没するイオンしかない小郡から大都会福岡の中心部に移転したこともあってか、新生一蘭は急速に規模を拡大し、わずか10年ほどの間に関東や熊本にも進出しました。
しかし、店の方針を巡って経営陣の内部対立は深刻化していたようで、平成16年についに分裂
出て行ったメンバーは「本物の一蘭の味を取り戻したい」と鳳凛という店を福岡市春吉にオープンし、創業者の中原氏も鳳凛側につきました。
真偽のほどはわかりませんが、mixiには中原氏健在の頃の鳳凛春吉店のスープは毎日小郡から電車で通ってきた中原氏が仕込んでいたという話ものっており、本物の味を取り戻すぞという気概をうかがえます。
口コミサイトにも小郡時代の一蘭にそっくりの味で感動したという声もあったので、一蘭の本流は鳳凛だと思うっちゃね。
そんな鳳凛は、コロナ禍で本店の春吉店こそ閉じたものの、支店は各地で盛業中で福岡では人気店として定着。

また、中原氏の孫が平成25年に一蘭の故郷でもある小郡に麺屋我ガ~GAGA~という一蘭スタイルのラーメン屋をオープン
駅からも幹線道路からも離れた微妙な立地にもかかわらず行列のできる大人気の店となり、今では久留米や天神にも進出しています。

こうした一蘭、鳳凛、我ガなどの人気から、中原氏から直接影響を受けていない店でも中原氏流のラーメンを出す店が現れ始め、一蘭系は「小郡系」という一つのラーメンのジャンルとして確立されたのです。
34-06-08

最近ガム噛んでないな

もう15年ぐらい昭和レトロが流行っていますが、実際の昭和は今より大気汚染がひどかったり、下水が未整備であちこちから異臭が漂っていたり、未舗装の道路から砂埃が巻き上げられていてとても不潔だったそうです。
インスタには全く映えないし、三丁目の夕日に憧れる人も本物の昭和30年代にタイムスリップしたら5秒には現代に帰りたいと嘆くでしょう。

さて、平成はどうだったでしょうか?
基本的には今と同じような清潔な町並みが広がっていましたが、歩道に関しては2010年代初頭までは明らかに汚かったです。
みんなも人生に絶望して下を向いて歩いているときとかに「あれ」をあまり目にしなくなったなと思ったことありませんか……。

そう!最近の道路にはガムがへばりついていないのである。

少し前まではオッサンたちがそこら中に食べ終わったガムをペッと吐き捨てていたので、駅前などの人通りの多い道は真っ黒に変色して斑点状になったガムだらけだったのに……。
しょうたが初めて東京に降り立ったときに感じた感情も本物の東京タワーを見たことへの感動や人の多さへの困惑でもなく、地面に落ちたガムの多さに対する「ばっちい。」というものだったぐらいです。

でもどうしてここ10年ぐらいで急に町が浄化されてしまったのでしょうか?
2010年代になって人々のマナー意識がさらにアップデートされたから?
いや、相変わらずタバコのポイ捨ては多いぞ……。

答えは簡単。
ガムの売り上げが急減したのです。

2020年のガムの売上はピークの2004年の4割程度と、15年も経たないうちに半分以下に減っています

では、なぜガムの売上が減っているのでしょうか?

ガムの売上の減り具合を見ると、2010年までは微減だったものの2011年以降一気に減り幅が大きくなっているようです。
2010年といえば佐藤健が噛むんとフニャンフニャンしてた頃なので、Fitsがガムにとって最後の輝きなのね……。

まあスマホがあれば外出先で時間つぶしできるから退屈しのぎでガムを噛む必要もないので、いつも通りスマホ普及が原因だね。
平成の時代論はスマホのせいにしとけば何でも解決
それにしても情報通信や娯楽だけでなく、食文化にまで影響をもたらすとは本当に恐ろしい箱だ……。
一応謎は解けたし解散です。またね。



ちょっと待ったー!!

2011年はまだそんなにスマホは普及してないし、2019年以降さらに減少ペースが上がってるので他にも理由はありそうだよこれ!

そういうことでもっと詳しく調べているとこんな記事を見つけました。
眠気覚ましのシーンでは、コンビニを筆頭にコーヒーがより身近になり、カフェイン入りのエナジードリンクなども増えてきた

引用元:身近なガム、国内市場は4割超も縮小していた 「何となく買わなくなった」消費者も多い
たしかにガムの売上がガクンと落ちた2011年にローソンがマチカフェを始めているし、「つばさを授ける。」って聞くようになったのもそのぐらいからだね。
代替品に押されたのもガム不人気の一因になってるみたいです。

あと、しょうたはここ数年でガム離れがさらに加速したのはゴミ箱が町中から減ったせいだと思うっちゃね。
ガムの売上の減少率が大きくなった2019年頃から鉄道会社が駅のゴミ箱の撤去を始めており、食べ終わったガムを捨てる場所が町中から姿を消しつつあります。
なんかの拍子に食べ終わったガムをくるんだティッシュが潰れて中のガムが飛び出てポケットやかばんの中がねばねばになった嫌な思い出のある人は結構いるだろうし、食べ終わったガムを持ち続けることになるぐらいなら最初から買わないという人も多いでしょう。
まあゴミ箱とか関係なく食べ終わったらその場で地面にペッする人もいるけどさ……。

そんなわけで、スマホ普及にとどまらず、飲料、社会など様々な時代の変化がガムの売上減に関係しているみたいです。

もし昔を懐かしみたくなったら、ガムを食べて平成気分に浸ってみるのもいいと思うっちゃね。
【参考文献】