平成 (その2)
いろいろ。
もくじ
しょうた日記でも書いたように、しょうた11歳のサイト管理をやってくれている中野陽斗おにいさんが「いい年して実家暮らしなんて!」と家を追い出されて一人暮らしを始めることになり、用意をしにナフコの二階へ行った (九州では「家具を買う。」という意味の慣用句。) のでしょうたもついていきました。
中野おにいさんがカラーボックスを選ぶのを眺めていてもつまらないので、しょうたはシモンズのベッドやカリモクのソファに座ってブルジョア気分を味わっていたけど、ほんのり違和感も感じました。
しょうたが11歳の頃は、ナフコのソファ売り場にはガラス天板のリビングテーブルが沢山置いてあったのに、木天板のやつばかりでガラス天板のものは殆ど置いていない!しょうたの友達でもオシャレにこだわってそうな家にはガラス天板のリビングテーブルがあったし、ドラマとかの背景でもよく見た気がするんだけど……。
今日は、そんないつの間にか目にする機会の少なくなった平成の家具について紹介します。
今思えば世紀末~新世紀のスケルトンブームの一貫だったのかな~。
ものによっては、天板の下に棚がついていて中に小物を飾ることもできたので、お洒落なおぢさんは棚の中にミニカーを入れて飾ったりしてました。
ちょっといいビジネスホテルなんかはロビーのソファ前に棚付きのガラステーブルを置き、棚の中に「ご自由にお持ちください。」って観光パンフレットを入れてたりするよね!
そんなガラステーブルだけど、地震が来て倒れたら割れそうな見た目してるので、たぶん東日本大震災以降の防災意識の高まりで淘汰されちゃったんでしょうね~……。
ブラウン管テレビは重かったのでたいてい移動用のキャスターがついていました。
また、収納部の扉はなぜかガラス製のものが大半でした。これもガラステーブル同様スケルトンブームの影響かと思ったけど、永犬丸家のブラウン管テレビではケーブルテレビのチャンネル番号が画面に出てこなくてチューナーに表示される数字を見ながら合わせていたから、ガラス扉には中の棚に置いてあるチューナーを確認するためという実用的な意味もあったのかも……。
でもそれ以上に平成のテレビ台で特徴的だったのは高さです。
最近のテレビボードはどれもソファーや床に寝転んで見るのにちょうどいいように低めに作られているけど、平成のテレビボードは椅子に座って見やすいよう高めでした。
いまでこそ一人暮らし向け物件以外ではLDKのある家が大半ですが、LDKが普及したのは90年代以降のことでまだLのないDKだけの家も多く、そのような家では食卓前にテレビを押し込んでいたので椅子に合わせた高さになったのでしょう。
ちなみに、昭和まで遡ると食卓ではなくちゃぶ台で食事をするので、ちゃぶ台に合わせてテレビ台も低めだったようです。
高いテレビ台は、狭いDKに食卓を置いていた平成前期ならではの家具だったのかもしれませんんね。
平成中期あたりの家の寝室やお子部屋には、よくこんな感じの木製のクローゼットが鎮座していて、お父さんのスーツ、お母さんのコート、お子達の余所行きの服などが入っていました。 (※写真は現在でも発売が続けられているもので当時モノではない。)
焦げ茶とか地味な色合いが多かった昔ながらのタンスと比べ、ナチュラルやオーク色といった明るい色合い、あるいはシックに黒などに塗られ、現代的な見た目になっていたのが特徴です。
が、最近の家具屋に行ってもそんなものはほとんど取り扱われておらず、衣装ケースといえばプラスチック製の安っぽいチェストばかり!あれ~……。
こういったクローゼットを得意としていたのが福岡の大川家具なので、最近見なくなったことに関する情報が載ってないか大川市の産業統計を見てみたら、平成16年から平成21年までのわずか5年間で建具の出荷額が半数以下に落ち込んだというデータが載っていました。
やはり、クローゼットは平成後期に激減していた……。
では、その理由は何だったのか?しょうたは、ニトリとカインズのせいだと思うっちゃね。
永らくの間、家具は職人が一つ一つ丁寧に作ってちょっと値段は張る分長持ちする耐久品とされてきましたが、この時期に大量生産で長持ちはしないけど手ごろな価格の家具を売るニトリやカインズが勢力を伸ばしたことで、人々の家具に対する認識は消耗品に変わりました。
耐久消費財的な家具を取り扱っている昔ながらの家具屋は、大量閉店したり他社に乗っ取られたりして、気付けばナフコの二階と東京インテリアぐらいしか残ってないし、そのナフコも消費財的な家具も結構取り扱っています。 (だから生き延びれたのでしょう。)
ファッション市場にユニクロが登場した時と同じような大革命が、平成中期に家具でも起こったのです。
なので、洋服収納も安物のプラスチックの引き出しでいいやってなって、木製のクローゼットは見かけなくなったんじゃないかな~。
時代の流れなので仕方ないとはいえ、職人技がなくなっていくのはなんか寂しいね。
それに加え、台場やロックマンエグゼなど新世紀に作られたネットを舞台にした作品を見ればわかるように、プリンタなどの周辺機器やネットへの接続も有線接続で行われており、パソコンの周りに固めて置かないといけなかったので、大量のパーツや機械の置き場が問題になりました。
そこで用いられたのがパソコン用デスクです。
パソコン用デスクは、本体とモデムをのせる天板部分、キーボードを載せる出し入れ可能な引出し、プリンタを載せれる上棚で構成され、これ一台でパソコン周りの大量のものを集められる優れものでした。ものによっては前に穴の開いた鉄板がついていて配線もまとめられたようです。
そんな便利なパソコン用デスクでしたが、ノートパソコンの性能向上で家でもノートパソコンを使う人が増え、無線接続が当たり前になって周辺機器を周辺に置く必要もなくなったため、現代では廃れてしまったようです。
今でも一応ひっそりと売られてはいる模様。
家具の移り変わりはデザインの流行で決まるものだと思ったけど、デザインだけでなく市場変化・住宅事情・技術革新など様々な要素が関係しているようです。
ここ数年、コロナ禍を経て住宅の間取りのトレンドが、平成末期~令和初期に流行した「部屋数少なめで巨大部屋を作る。」から、「狭い部屋がたくさんあるけど、ふすまを開ければ一つの広い部屋としても使える。」という伝統的日本家屋のようなものに変わってきてるみたいだし、また新しいタイプの家具が誕生したり、廃れた古の家具が形を変えて復活するかもしれないね!
中野おにいさんがカラーボックスを選ぶのを眺めていてもつまらないので、しょうたはシモンズのベッドやカリモクのソファに座ってブルジョア気分を味わっていたけど、ほんのり違和感も感じました。
しょうたが11歳の頃は、ナフコのソファ売り場にはガラス天板のリビングテーブルが沢山置いてあったのに、木天板のやつばかりでガラス天板のものは殆ど置いていない!しょうたの友達でもオシャレにこだわってそうな家にはガラス天板のリビングテーブルがあったし、ドラマとかの背景でもよく見た気がするんだけど……。
今日は、そんないつの間にか目にする機会の少なくなった平成の家具について紹介します。
①ガラステーブル
まずは最初に出てきたガラステーブル。天板がガラスになったソファー用のリビングテーブルです。透き通るほんのり緑がかったガラスや鉄製の足が都会的でスタイリッシュでした。今思えば世紀末~新世紀のスケルトンブームの一貫だったのかな~。
ものによっては、天板の下に棚がついていて中に小物を飾ることもできたので、お洒落なおぢさんは棚の中にミニカーを入れて飾ったりしてました。
ちょっといいビジネスホテルなんかはロビーのソファ前に棚付きのガラステーブルを置き、棚の中に「ご自由にお持ちください。」って観光パンフレットを入れてたりするよね!
そんなガラステーブルだけど、地震が来て倒れたら割れそうな見た目してるので、たぶん東日本大震災以降の防災意識の高まりで淘汰されちゃったんでしょうね~……。
②高くて奥行きのあるテレビ台
奥行きのある、ブラウン管テレビ (箱) に対応したテレビボードです。ブラウン管テレビは重かったのでたいてい移動用のキャスターがついていました。
また、収納部の扉はなぜかガラス製のものが大半でした。これもガラステーブル同様スケルトンブームの影響かと思ったけど、永犬丸家のブラウン管テレビではケーブルテレビのチャンネル番号が画面に出てこなくてチューナーに表示される数字を見ながら合わせていたから、ガラス扉には中の棚に置いてあるチューナーを確認するためという実用的な意味もあったのかも……。
でもそれ以上に平成のテレビ台で特徴的だったのは高さです。
最近のテレビボードはどれもソファーや床に寝転んで見るのにちょうどいいように低めに作られているけど、平成のテレビボードは椅子に座って見やすいよう高めでした。
いまでこそ一人暮らし向け物件以外ではLDKのある家が大半ですが、LDKが普及したのは90年代以降のことでまだLのないDKだけの家も多く、そのような家では食卓前にテレビを押し込んでいたので椅子に合わせた高さになったのでしょう。
ちなみに、昭和まで遡ると食卓ではなくちゃぶ台で食事をするので、ちゃぶ台に合わせてテレビ台も低めだったようです。
高いテレビ台は、狭いDKに食卓を置いていた平成前期ならではの家具だったのかもしれませんんね。
③木製のクローゼット
平成中期あたりの家の寝室やお子部屋には、よくこんな感じの木製のクローゼットが鎮座していて、お父さんのスーツ、お母さんのコート、お子達の余所行きの服などが入っていました。 (※写真は現在でも発売が続けられているもので当時モノではない。)
焦げ茶とか地味な色合いが多かった昔ながらのタンスと比べ、ナチュラルやオーク色といった明るい色合い、あるいはシックに黒などに塗られ、現代的な見た目になっていたのが特徴です。
が、最近の家具屋に行ってもそんなものはほとんど取り扱われておらず、衣装ケースといえばプラスチック製の安っぽいチェストばかり!あれ~……。
こういったクローゼットを得意としていたのが福岡の大川家具なので、最近見なくなったことに関する情報が載ってないか大川市の産業統計を見てみたら、平成16年から平成21年までのわずか5年間で建具の出荷額が半数以下に落ち込んだというデータが載っていました。
やはり、クローゼットは平成後期に激減していた……。
では、その理由は何だったのか?しょうたは、ニトリとカインズのせいだと思うっちゃね。
永らくの間、家具は職人が一つ一つ丁寧に作ってちょっと値段は張る分長持ちする耐久品とされてきましたが、この時期に大量生産で長持ちはしないけど手ごろな価格の家具を売るニトリやカインズが勢力を伸ばしたことで、人々の家具に対する認識は消耗品に変わりました。
耐久消費財的な家具を取り扱っている昔ながらの家具屋は、大量閉店したり他社に乗っ取られたりして、気付けばナフコの二階と東京インテリアぐらいしか残ってないし、そのナフコも消費財的な家具も結構取り扱っています。 (だから生き延びれたのでしょう。)
ファッション市場にユニクロが登場した時と同じような大革命が、平成中期に家具でも起こったのです。
なので、洋服収納も安物のプラスチックの引き出しでいいやってなって、木製のクローゼットは見かけなくなったんじゃないかな~。
時代の流れなので仕方ないとはいえ、職人技がなくなっていくのはなんか寂しいね。
④パソコン用デスク
昔のノートパソコンは性能があまりよくなかったので、家庭用のパソコンでも場所を取るデスクトップ機が一般的でした。それに加え、台場やロックマンエグゼなど新世紀に作られたネットを舞台にした作品を見ればわかるように、プリンタなどの周辺機器やネットへの接続も有線接続で行われており、パソコンの周りに固めて置かないといけなかったので、大量のパーツや機械の置き場が問題になりました。
そこで用いられたのがパソコン用デスクです。
パソコン用デスクは、本体とモデムをのせる天板部分、キーボードを載せる出し入れ可能な引出し、プリンタを載せれる上棚で構成され、これ一台でパソコン周りの大量のものを集められる優れものでした。ものによっては前に穴の開いた鉄板がついていて配線もまとめられたようです。
そんな便利なパソコン用デスクでしたが、ノートパソコンの性能向上で家でもノートパソコンを使う人が増え、無線接続が当たり前になって周辺機器を周辺に置く必要もなくなったため、現代では廃れてしまったようです。
今でも一応ひっそりと売られてはいる模様。
家具の移り変わりはデザインの流行で決まるものだと思ったけど、デザインだけでなく市場変化・住宅事情・技術革新など様々な要素が関係しているようです。
ここ数年、コロナ禍を経て住宅の間取りのトレンドが、平成末期~令和初期に流行した「部屋数少なめで巨大部屋を作る。」から、「狭い部屋がたくさんあるけど、ふすまを開ければ一つの広い部屋としても使える。」という伝統的日本家屋のようなものに変わってきてるみたいだし、また新しいタイプの家具が誕生したり、廃れた古の家具が形を変えて復活するかもしれないね!
しょうたが11歳の頃―だいたい2015年ぐらいまでは「これだからゆとりは。」と、しょうたたちゆとり世代はネットはもちろんビジネスやワイドショーなどあらゆる場で叩かれていたのですが、ここ最近ショート動画に脳細胞を破壊されたZ世代や無敵の人化した氷河期お兄さんが凶悪事件を起こしまくっているせいで、あまり悪さをしないゆとりの評価が相対的に上がっているようです。嬉しい流れです。
地獄の就職氷河期の就職競争で敗れ非正規やニートになり、社会からも半ば見捨てられた氷河期お兄さんが無敵の人になるのはさもありなんといったところですが、ゆとりとZ世代との攻撃性の違いは何が原因なのでしょうか?
しょうたは、親世代と就職事情に理由があると思うっちゃね。
ゆとりキッズの親世代はバブル世代で正社員として働いているので、片親・親がギャンブル狂等のレアケースを除けば貧困層でも明日の食事すらないレベルの極貧家庭は少なかったです。
しょうたのクラスにいたボロ長屋住まいで貧乏と言われてた子も、一応遠足にお菓子を持って来てたし、悪臭を漂わせてはなかったので毎日風呂に入ってたし、服はよれてはいたけど黄ばんではなかったので洗濯もできたようです。
ゆとりは親世代のおかげで子供時代はなんとか一億総中流の中で育つことができたのです。
震災後の就職難にかぶった平成元年~2年生まれぐらいを除けば地獄の氷河期の上の世代と比べれば就職活動もイージーモード。しかも、運のいいことにゆとり全盛期の平成一桁後半生まれはアベノミクス後の売り手市場だった時に就職が重なったので普通以上の水準の会社の正社員になれた者も多かったです。
ゆとりは生育環境だけでなく職探しでも比較的恵まれ、今後も安定した生活を送れることが約束されています。
このように、ゆとりキッズの多くには贅沢までは無理でもゆとりある生活を今後も続けることができる確証があるので、失うものなどないと自暴自棄にならないし、はした金のために犯罪を犯す必要性にも駆られないので悪さをしないんだと思うっちゃね。
一方Z世代の親世代は氷河期世代なので貧困層は非正規も多く、ゆとりにはほとんどいなかった明日の食事すら食べれるかどうかわからないレベルの貧困家庭も増えているようです。夕食すら食べれないお子のための「子ども食堂」が普及したのも2010年代の出来事です。
そして、極貧家庭育ちでなかった人も、コロナやウクライナのせいで就職事情が再び悪化したため非正規へ転落し、明日がどうなるかもわからないその日暮らしへ……。
こうして親である氷河期世代同様失うものがなくなったZ世代が大量に製造されたことで、Z世代が多くの事件を起こしてるんじゃないかな。
過去のゆとり叩きの腹いせでしょうたはZのことはあまりよく言ってないけど、さすがに同情します……。
最近アニカビのブルーレイ発売とか、ロックマンエグゼの移植とか、各所での謎の「ボボボーボ・ボーボボ」推しとか、ゆとりキッズがお子だった頃のコンテンツが再び世に送り出されているけど、ゆとりは上下の世代と比べ金を持っているのでゆとり向け、特にゆとりの中でも最も恵まれている平成一桁後半生まれに向けたリメイクは今後もますます盛んになってくる気がします。
いや、コンテンツだけでなく、懐古趣味全般においても、金を持つことになるこの世代の子供時代―すなわち90年代末~10年代初頭が中心になるでしょう。
ここ1年ぐらいの平成懐古ブームについても、ニュースでは「Z世代の間でも人気。」な~んて言われているけど、SNSを見る限りでは社会人生活にも慣れて金と時間のできたゆとりキッズがお子だった頃に憧れたものを大人の財力で追体験してる例の方が多い気がします。(しょうたのタイムライン構築が偏ってるだけかも。)
もし、全盛期ゆとり世代が懐かしいと思うあれこれを知りたいと思っているマーケターの方がいらっしゃったら、まさにこの世代が過去を振り返ったサイトである「しょうた11歳」を読まれてはいかが?
地獄の就職氷河期の就職競争で敗れ非正規やニートになり、社会からも半ば見捨てられた氷河期お兄さんが無敵の人になるのはさもありなんといったところですが、ゆとりとZ世代との攻撃性の違いは何が原因なのでしょうか?
しょうたは、親世代と就職事情に理由があると思うっちゃね。
ゆとりキッズの親世代はバブル世代で正社員として働いているので、片親・親がギャンブル狂等のレアケースを除けば貧困層でも明日の食事すらないレベルの極貧家庭は少なかったです。
しょうたのクラスにいたボロ長屋住まいで貧乏と言われてた子も、一応遠足にお菓子を持って来てたし、悪臭を漂わせてはなかったので毎日風呂に入ってたし、服はよれてはいたけど黄ばんではなかったので洗濯もできたようです。
ゆとりは親世代のおかげで子供時代はなんとか一億総中流の中で育つことができたのです。
震災後の就職難にかぶった平成元年~2年生まれぐらいを除けば地獄の氷河期の上の世代と比べれば就職活動もイージーモード。しかも、運のいいことにゆとり全盛期の平成一桁後半生まれはアベノミクス後の売り手市場だった時に就職が重なったので普通以上の水準の会社の正社員になれた者も多かったです。
ゆとりは生育環境だけでなく職探しでも比較的恵まれ、今後も安定した生活を送れることが約束されています。
このように、ゆとりキッズの多くには贅沢までは無理でもゆとりある生活を今後も続けることができる確証があるので、失うものなどないと自暴自棄にならないし、はした金のために犯罪を犯す必要性にも駆られないので悪さをしないんだと思うっちゃね。
一方Z世代の親世代は氷河期世代なので貧困層は非正規も多く、ゆとりにはほとんどいなかった明日の食事すら食べれるかどうかわからないレベルの貧困家庭も増えているようです。夕食すら食べれないお子のための「子ども食堂」が普及したのも2010年代の出来事です。
そして、極貧家庭育ちでなかった人も、コロナやウクライナのせいで就職事情が再び悪化したため非正規へ転落し、明日がどうなるかもわからないその日暮らしへ……。
こうして親である氷河期世代同様失うものがなくなったZ世代が大量に製造されたことで、Z世代が多くの事件を起こしてるんじゃないかな。
過去のゆとり叩きの腹いせでしょうたはZのことはあまりよく言ってないけど、さすがに同情します……。
最近アニカビのブルーレイ発売とか、ロックマンエグゼの移植とか、各所での謎の「ボボボーボ・ボーボボ」推しとか、ゆとりキッズがお子だった頃のコンテンツが再び世に送り出されているけど、ゆとりは上下の世代と比べ金を持っているのでゆとり向け、特にゆとりの中でも最も恵まれている平成一桁後半生まれに向けたリメイクは今後もますます盛んになってくる気がします。
いや、コンテンツだけでなく、懐古趣味全般においても、金を持つことになるこの世代の子供時代―すなわち90年代末~10年代初頭が中心になるでしょう。
ここ1年ぐらいの平成懐古ブームについても、ニュースでは「Z世代の間でも人気。」な~んて言われているけど、SNSを見る限りでは社会人生活にも慣れて金と時間のできたゆとりキッズがお子だった頃に憧れたものを大人の財力で追体験してる例の方が多い気がします。(しょうたのタイムライン構築が偏ってるだけかも。)
もし、全盛期ゆとり世代が懐かしいと思うあれこれを知りたいと思っているマーケターの方がいらっしゃったら、まさにこの世代が過去を振り返ったサイトである「しょうた11歳」を読まれてはいかが?
最近見なくなったよね、オカルト番組。
平成20年代前半あたりまではレギュラー番組でもあったし、その他の番組でも心霊・怪奇現象のリポートとか、霊能力者特集とかよくやってたのに……。
今ではたま~に特番で流れる程度で、本当にやらなくなったよね……。
どうやら、以前しょうたメモで解説したような胡散臭い霊能力者による霊感商法に手を貸してしまうことや、心霊スポットとして紹介されることによる風評被害が問題視されるようになったことが原因のようです。
たしかに最近は心霊スポットに潜入するときも●●県某所とか完全に地名伏せられてるよね~。
あぁっ、どんどん放送コードが厳しくなっていく!!
でも、放送コードが厳しくなる前の00年代には既にこのジャンルの衰退は決まっていたと思います。
視聴者の皆様から送られた白っぽいもの (霊) が映り込んだ写真や、後ろに誰もいないのに謎の手や指 (霊) が腰や肩に乗っている写真を心霊写真として紹介するのが平成10年代までのオカルト番組の主力コンテンツの一つだったからです。
ユビキタス時代の感覚だと、ただのブレた失敗写真とか角度を調整して撮っただけの写真だろで一蹴できる子供騙しだけど、当時の主力だったフィルムカメラでは現像するまで上手く撮影できたかわらないうえに、フィルムもそれなりにお値の張るくせに記録枚数は40枚ない程度で写真を撮ることへの心理的なハードルは高く、みんな写真を取るときは綺麗に取れるよう気合入れていて、実は単なる人為的に発生させたブレである白い霊が登場することもなかったし、「後ろから謎の手が!」という被写体の立ち位置や角度を細かく計算した写真を撮る難易度もその場で細かく確認できる今とは桁違いで、よほどの物好きでもない限り、心霊写真とされるようなわざと失敗して撮った写真や凝ったネタ写真を目にする機会はなく、それを心霊写真と言われても信じられる余地はありました。
しかし、ガラケーやデジカメが普及したことで写真撮影のハードルは一気に下がり、雑に写真を撮ったり、ポーズのキメ方やアングル次第で「心霊写真」とされていたものはいくらでも量産できることが皆の知るところになりました。
しょうたの頃 (平成20年代初頭) のカメラ付きのガラケー持ちたての学生たちは、「心霊写真ごっこ (仮) 」とシャッターを押す瞬間に指を撮影範囲内で高速移動して白っぽい霊を生み出したり、心霊の手役の人の身体を映さないようにアングルや心霊役の立つ位置を調整することでそういう感じの写真を作って遊んだりしたものだよ。
こうして多くの人の中で心霊写真として見せられてきたものは誰でも量産できるミスやおふざけという認識が形成されたことで、オカルト番組を視聴した感想がこれまでの「多分嘘ではあるけれどもしかしたら本当かも。」から「『心霊写真』みたいな子供だましのしょーもないトリックだろ。」という番組・ジャンル全体への不信感に代わってシラケてしまってオカルト番組は衰退したと思うっちゃね。
かつて瘴気だとか天罰だとか言われてた病気が顕微鏡の発明によってウイルスや病原菌によって引き起こされるものと知られるようになったように迷信とかオカルトの類は科学や技術の発展によって退けられていったけど、心霊写真もまたデジカメという技術の発展によって退けられてしまったオカルトなのかもね……。
平成20年代前半あたりまではレギュラー番組でもあったし、その他の番組でも心霊・怪奇現象のリポートとか、霊能力者特集とかよくやってたのに……。
今ではたま~に特番で流れる程度で、本当にやらなくなったよね……。
どうやら、以前しょうたメモで解説したような胡散臭い霊能力者による霊感商法に手を貸してしまうことや、心霊スポットとして紹介されることによる風評被害が問題視されるようになったことが原因のようです。
たしかに最近は心霊スポットに潜入するときも●●県某所とか完全に地名伏せられてるよね~。
あぁっ、どんどん放送コードが厳しくなっていく!!
でも、放送コードが厳しくなる前の00年代には既にこのジャンルの衰退は決まっていたと思います。
視聴者の皆様から送られた白っぽいもの (霊) が映り込んだ写真や、後ろに誰もいないのに謎の手や指 (霊) が腰や肩に乗っている写真を心霊写真として紹介するのが平成10年代までのオカルト番組の主力コンテンツの一つだったからです。
ユビキタス時代の感覚だと、ただのブレた失敗写真とか角度を調整して撮っただけの写真だろで一蹴できる子供騙しだけど、当時の主力だったフィルムカメラでは現像するまで上手く撮影できたかわらないうえに、フィルムもそれなりにお値の張るくせに記録枚数は40枚ない程度で写真を撮ることへの心理的なハードルは高く、みんな写真を取るときは綺麗に取れるよう気合入れていて、実は単なる人為的に発生させたブレである白い霊が登場することもなかったし、「後ろから謎の手が!」という被写体の立ち位置や角度を細かく計算した写真を撮る難易度もその場で細かく確認できる今とは桁違いで、よほどの物好きでもない限り、心霊写真とされるようなわざと失敗して撮った写真や凝ったネタ写真を目にする機会はなく、それを心霊写真と言われても信じられる余地はありました。
しかし、ガラケーやデジカメが普及したことで写真撮影のハードルは一気に下がり、雑に写真を撮ったり、ポーズのキメ方やアングル次第で「心霊写真」とされていたものはいくらでも量産できることが皆の知るところになりました。
しょうたの頃 (平成20年代初頭) のカメラ付きのガラケー持ちたての学生たちは、「心霊写真ごっこ (仮) 」とシャッターを押す瞬間に指を撮影範囲内で高速移動して白っぽい霊を生み出したり、心霊の手役の人の身体を映さないようにアングルや心霊役の立つ位置を調整することでそういう感じの写真を作って遊んだりしたものだよ。
こうして多くの人の中で心霊写真として見せられてきたものは誰でも量産できるミスやおふざけという認識が形成されたことで、オカルト番組を視聴した感想がこれまでの「多分嘘ではあるけれどもしかしたら本当かも。」から「『心霊写真』みたいな子供だましのしょーもないトリックだろ。」という番組・ジャンル全体への不信感に代わってシラケてしまってオカルト番組は衰退したと思うっちゃね。
かつて瘴気だとか天罰だとか言われてた病気が顕微鏡の発明によってウイルスや病原菌によって引き起こされるものと知られるようになったように迷信とかオカルトの類は科学や技術の発展によって退けられていったけど、心霊写真もまたデジカメという技術の発展によって退けられてしまったオカルトなのかもね……。
うまるちゃんのサンカクヘッド先生が「平成少年ダン」という1999年の小学生の日常を描いた漫画を描いています。
平成少年のしょうたももちろん大好……まったく刺さらないんだな~これが。しょうたよりも少し上の世代の話だから。
消費税がまだ導入されてなかったり、スーパーがつかないファミコンが現役だったり、しょうたとは10も違わないのにあまりにも時代が違いすぎて……。
これが21世紀少年と20世紀少年の差なのか?
……でも同じぐらいの時代が舞台の大塚志郎先生の「平成の小学生の日常」は結構共感できるところもあったな~……。
なんで「ダン」には全く共感できない事態になってしまうのかというと、ちゆ12歳おねいちゃんもネタにしていたように時代考証が無茶苦茶だからです。
初代ファミコンや、消費税0%は平成ではなく昭和のものだよ……。
では、なぜ平成へのノスタルジーをテーマにした作品で一番大事な部分がこんなことになってしまったのか……?
ネットではサンカクヘッド先生の家が貧乏だったせいと言われていますが、しょうたは友達の兄姉の影響を受けたせいだと思うっちゃね。
ほら、お子って友達の兄経由で少し上の世代のあそびも覚えるじゃないですか……。
しょうたも友達のお兄ちゃんが昭和生まれで家に行くとスーパービーダマンとか64とかあったから、90年代の小学生のあそびでも結構遊んでいたよ。
ブロックとりでの3階でバナナで陣地を築くとか、ブロックとりでの1階を緑甲羅で埋め尽くすとか、ブロックとりでの攻城戦で1時間近く膠着状態が続くとか……。
今でこそSNSの普及で大人も子供も関係なくネットで交流できるようになったけど、平成中期までのネットはオタクのあそび場だったし今みたいな交流の場もなかったので、FLASHを除けばお子達への影響力はない。
そんな平成の彼らにいつもとは違う遊びを教えてくれたのは上の世代の置き土産の少し昔の玩具やゲームでした。
ユビキタス時代より前のお子達の文化は兄世代にも影響を受け、多くのものを受け継ぎ続けたとしょうたは思います。
世代でもないしょうたたちですら、ちびまる子ちゃんの夏休み回に何とも言えないのすたるじぃを感じるのも、子供時代への憧憬だけでなく、こうやって当時から受け継がれてきたものがあるからなのかもね。
平成少年のしょうたももちろん大好……まったく刺さらないんだな~これが。しょうたよりも少し上の世代の話だから。
消費税がまだ導入されてなかったり、スーパーがつかないファミコンが現役だったり、しょうたとは10も違わないのにあまりにも時代が違いすぎて……。
これが21世紀少年と20世紀少年の差なのか?
……でも同じぐらいの時代が舞台の大塚志郎先生の「平成の小学生の日常」は結構共感できるところもあったな~……。
なんで「ダン」には全く共感できない事態になってしまうのかというと、ちゆ12歳おねいちゃんもネタにしていたように時代考証が無茶苦茶だからです。
初代ファミコンや、消費税0%は平成ではなく昭和のものだよ……。
では、なぜ平成へのノスタルジーをテーマにした作品で一番大事な部分がこんなことになってしまったのか……?
ネットではサンカクヘッド先生の家が貧乏だったせいと言われていますが、しょうたは友達の兄姉の影響を受けたせいだと思うっちゃね。
ほら、お子って友達の兄経由で少し上の世代のあそびも覚えるじゃないですか……。
しょうたも友達のお兄ちゃんが昭和生まれで家に行くとスーパービーダマンとか64とかあったから、90年代の小学生のあそびでも結構遊んでいたよ。
ブロックとりでの3階でバナナで陣地を築くとか、ブロックとりでの1階を緑甲羅で埋め尽くすとか、ブロックとりでの攻城戦で1時間近く膠着状態が続くとか……。
今でこそSNSの普及で大人も子供も関係なくネットで交流できるようになったけど、平成中期までのネットはオタクのあそび場だったし今みたいな交流の場もなかったので、FLASHを除けばお子達への影響力はない。
そんな平成の彼らにいつもとは違う遊びを教えてくれたのは上の世代の置き土産の少し昔の玩具やゲームでした。
ユビキタス時代より前のお子達の文化は兄世代にも影響を受け、多くのものを受け継ぎ続けたとしょうたは思います。
世代でもないしょうたたちですら、ちびまる子ちゃんの夏休み回に何とも言えないのすたるじぃを感じるのも、子供時代への憧憬だけでなく、こうやって当時から受け継がれてきたものがあるからなのかもね。
おぢさんたちは色々なものを独自の呼び方で呼びます。
将来有望ないい男のことを「ヤンエグ」って言ったり、スーツを「背広」って言ったり……。
ヤンエグってメンエグみたいな言い方すな。
え……最近の10代はメンエグなんて知らないって?ファインボーイズの横に置いてあったろ。
まったくこれだからZ世代のガキは! (老害への第一歩)
でもZ世代もしょうたには理解できない独自の言葉を使うみたいなのです!
若者語を調べて知ったんだけど、Tiktokerはステーキとご飯を鉄板で焼いたもののことを「ペッパーランチ」と呼ぶんだって……!
いや、それ店の名前だろ……。
お子達の暮らす世界もさっぱりわかりません。
そんな、おぢさんやZ世代の妙な文化にはついていけないしょうただけど、しょうたのようなゆとりキッズも他の世代には通じない独自の呼び方でモノを呼ぶことがあります。
今日はその一部を紹介するね。
解答者はクイズに不満などを感じるとこのボールを穴に入れ、エンディングで溜まったボールが司会の伊東四朗に落とされるのが番組の名物だった。
人気番組でみんな見てたので、大きさにかかわらずとげ付きのボールはとりあえずモヤっとボールと呼ぶようになってしまった。
ベイブレードの原型となったすげゴマでは発射器のことをスターターと称していたようなので、シューターの語を使うのは爆転世代だけだと思われる。
世代でなくてもどこか懐かしい気持ちになれる、帰り道のような安心感がある名曲。
……なのだが、いにしへのネットで流行した少しだけグロくて面白い動画「スネ夫探偵事務所」のエンディングにこの曲が使われてしまったため、20代後半は「あしたもともだち」=スネ探の曲という誤った認識を持ってしまった。
風評被害ソング。
卒業式の練習で流れているのに合わせて「来て来てあたしンち~。」と歌って先生に叱られる男子とそれを聞いて「威風堂々」について解説するピアノをやってて音楽に造詣の深い女子という流れは一度ぐらい体験したことがあるでしょ?
九州新幹線との直通運転開始以降山陽新幹線内のひかりはさくらにとって代わられてひかりレールスターの本数は激減し、700系はこだまとしての運行が大半になったが、相変わらずレールスターのロゴを貼っているためこだま用になった今も当時の印象が消えず、「ひかりレールスター」と呼ばれている。。
九州新幹線全線開業後にさくらとして走ることも見越してつばめロゴを撤去した800系とは対照的である。
タイトルのせいでよく誤解されてるけど、ポスターとかでメインとして映ってるのはニモではなくニモの父親のドリー。主人公もニモじゃなくてドリーですからね!
そのためモナコのことを王国と勘違いする人が続出してしまった。
人気漫画の影響力おそるべし。
今の20代後半が高校生の頃ぐらいまではまだテレビが影響力を持っていたので、まとめてみるとテレビ由来の言葉が多い印象です。
ネットの普及で情報の細分化が進行しているので、世代ごとの言葉の違いはこの先さらに広がっていくんだろうね……。
将来有望ないい男のことを「ヤンエグ」って言ったり、スーツを「背広」って言ったり……。
ヤンエグってメンエグみたいな言い方すな。
え……最近の10代はメンエグなんて知らないって?ファインボーイズの横に置いてあったろ。
まったくこれだからZ世代のガキは! (老害への第一歩)
でもZ世代もしょうたには理解できない独自の言葉を使うみたいなのです!
若者語を調べて知ったんだけど、Tiktokerはステーキとご飯を鉄板で焼いたもののことを「ペッパーランチ」と呼ぶんだって……!
いや、それ店の名前だろ……。
お子達の暮らす世界もさっぱりわかりません。
そんな、おぢさんやZ世代の妙な文化にはついていけないしょうただけど、しょうたのようなゆとりキッズも他の世代には通じない独自の呼び方でモノを呼ぶことがあります。
今日はその一部を紹介するね。
トゲトゲボール→モヤっとボール
モヤっとボールはフジテレビ系「脳内サプリIQサプリ」に登場した小物で、とげのたくさんついたボール。解答者はクイズに不満などを感じるとこのボールを穴に入れ、エンディングで溜まったボールが司会の伊東四朗に落とされるのが番組の名物だった。
人気番組でみんな見てたので、大きさにかかわらずとげ付きのボールはとりあえずモヤっとボールと呼ぶようになってしまった。
ランチャー (ベイブレード)→シューター
ベイブレードの発射器のことをメタルファイトベイブレード以降のベイブレードではランチャーと呼ぶが、初代の爆転ではシューターと呼んでいた。ベイブレードの原型となったすげゴマでは発射器のことをスターターと称していたようなので、シューターの語を使うのは爆転世代だけだと思われる。
あしたもともだち→スネ探
お馴染みの「あたまてかてか」になる前のドラえもんのエンディング。世代でなくてもどこか懐かしい気持ちになれる、帰り道のような安心感がある名曲。
……なのだが、いにしへのネットで流行した少しだけグロくて面白い動画「スネ夫探偵事務所」のエンディングにこの曲が使われてしまったため、20代後半は「あしたもともだち」=スネ探の曲という誤った認識を持ってしまった。
風評被害ソング。
威風堂々→来て来てあたしンち
あたしンちの初代エンディング「来て来てあたしンち」は「威風堂々」のメロディーに歌詞をつけたものだったので、90年代生まれは威風堂々をあたしンちの曲として知ってしまった。卒業式の練習で流れているのに合わせて「来て来てあたしンち~。」と歌って先生に叱られる男子とそれを聞いて「威風堂々」について解説するピアノをやってて音楽に造詣の深い女子という流れは一度ぐらい体験したことがあるでしょ?
山陽新幹線700系新幹線→ひかりレールスター
500系に次ぐ山陽新幹線のフラッグシップとして製造された8両編成の700系で運行されるひかりには「ひかりレールスター」という専用の列車名が与えられ、車体にも大きく「レールスター」とロゴが表記されたため、山陽新幹線の700系=ひかりレールスターという印象が当時のお子達に植え付けられてしまった。九州新幹線との直通運転開始以降山陽新幹線内のひかりはさくらにとって代わられてひかりレールスターの本数は激減し、700系はこだまとしての運行が大半になったが、相変わらずレールスターのロゴを貼っているためこだま用になった今も当時の印象が消えず、「ひかりレールスター」と呼ばれている。。
九州新幹線全線開業後にさくらとして走ることも見越してつばめロゴを撤去した800系とは対照的である。
クマノミ→ニモ
2003年のPIXER映画「ファインディング・ニモ」の主人公がクマノミだったことから、鮫をジョーズと呼ぶのと同じようにクマノミをニモと呼ぶようになってしまった。タイトルのせいでよく誤解されてるけど、ポスターとかでメインとして映ってるのはニモではなくニモの父親のドリー。主人公もニモじゃなくてドリーですからね!
モナコ公国→モナコ王国
サンデー黄金期を代表する漫画「焼きたて!ジャぱん」にモナコが舞台となるモナコカップ編があり、そこでモナコ王子 (世界レベールのピエロ) やモナコ王も登場した。そのためモナコのことを王国と勘違いする人が続出してしまった。
人気漫画の影響力おそるべし。
今の20代後半が高校生の頃ぐらいまではまだテレビが影響力を持っていたので、まとめてみるとテレビ由来の言葉が多い印象です。
ネットの普及で情報の細分化が進行しているので、世代ごとの言葉の違いはこの先さらに広がっていくんだろうね……。