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カープ女子現象とあまちゃんフィーバーの意外な類似性

注:しょうたは鷹党でセリーグの事情には疎いので間違っている部分があったらごめんなさい!

カープのイメージ戦略の上手さ

カープはコロナ禍以前はずっと黒字経営を続けていたそうだ。球団経営は上手らしい。
あれだけ人気のホークスですら親会社の支援に頼っているというのに、地方の球団で黒字経営は容易いものではなかっただろう。

そんなカープの球団経営で一番すごいと思うのは、イメージづくりだ。
世間でのカープのイメージは市民球団でスポンサーがいない金欠の貧乏球団だが、それすらカープのイメージ戦略の賜物だ。
実はカープが真の意味で市民球団だったのは草創期だけで、貧乏球団のイメージとは裏腹にマツダという日本ハムやロッテよりも強そうなオーナー企業がバックにいる。
しかし、株の大部分をマツダ社ではなくマツダ創業家個人の保有としているため会社法上はマツダの子会社とならずスポンサー企業なしの市民球団 (建前) ということにして貧乏ながら頑張るチームを演出している。
おかげでファンたちは「金がないから仕方ない。」と諦めて某球団のファンのようにマツダの株主総会に押しかけたりしないし、何かとつけて「カープを助けよう!!」と募金するので堅実な経営が可能になっているのだ。

カープといえばカルト的なファンが多いことでも知られるが、カープファンがあんなに熱狂するのも市民球団のイメージのおかげだろう。
貧しい主人公が情熱だけで金持ちに立ち向かうというのは少年漫画でもおなじみの王道展開で、燃えないわけがない。
だからカープファンたちは負け続けても「次こそは勝つ。」と闘志を燃やしオリファンのように見捨てたりしない
そしてこうしたバックストーリーがあるから、優勝したりAクラスになった時の喜びも他の球団以上に大きいのだ
そう考えると彼らがあそこまで熱狂する理由もわかる気がする。

話は変わるけどあまちゃんすごい流行ったね

さて、そんなカープのイメージ戦略の結晶が2013年頃から2019年頃まで流行った

カープ女子

だ。

さて、カープ女子現象を語る前にあまちゃんフィーバ―について振り返る必要がある。
実はカープ女子現象とあまちゃんフィーバーは実はブームの背景が非常に似ているのだ。

知らない人のために一応簡単に説明すると、あまちゃんは2013年上半期の朝の連続ドラマ小説だ。
岩手の田舎・北三陸市にやってきた暗く引っ込み思案の東京の女子高生・天野アキが地元の人と触れ合いながらなんやかんやでご当地アイドルになって、東京に出て人気アイドルになって、東日本大震災で被害を受けた北三陸に戻り復興のため再びご当地アイドルをやるというストーリーで、視聴率が20%を越えたり作中で主人公たちが発する感嘆詞の「じぇじぇじぇ」が流行語大賞に選ばれるなど社会現象になった。

では、なぜあまちゃんはここまでヒットしたのだろうか?
お堅かったこれまでの連ドラでは見られなかったパロディや小ネタや、80年代へのノスタルジーも要因と言われている。
しかし、あまちゃんフィーバーの一番の要因は人々の"ふるさと"への郷愁を誘ったことだろう。
東日本大震災後の絆ブームで人とのつながりが見直されて人とのふれあいのある場所を求めて地方移住がにわかに流行りはじめた。
意識高い系の人たちがノマド (死語) で移住☆彡というブログを量産したのも記憶に新しい。
とはいえ、まだテレワークが出てくる前なので当然大多数の人にとって移住など夢のまた夢であった。
北三陸市の個性豊かな住民たちの日常風景を丁寧に描写したことで、そんな地方移住に憧れていた人々に疑似的に"ふるさと"で過ごす体験を与えたのがあまちゃんだったのだ。

そして、あまちゃんフィーバーのもう一つの大きな要因は主演の能年玲奈の持った物語性だろう。
Jアイドルに必要不可欠なもの、それは様々な困難を乗り越えてスターダムを駆け上がっていくサクセスストーリーである。
オーディション落選の負け組の5人から始まった初期のモーニング娘。や、来る日も来る日もガラガラの観客席に向けて手を振り、公演後は真夜中までダンスを練習したという初期のAKBがその代表例だろう。
天野アキはローカルアイドルから人気アイドルへ成長していったが、彼女を演じた能年玲奈もまた無名の新人女優から紅白に呼ばれるほどの国民的女優へと上り詰めて行ったのである。
あまちゃんは天野アキの物語であると同時に、能年玲奈の成長の物語でもあったのだ。

カープ女子が求めたのは物語と疑似的なふるさと

では、いよいよ本題のカープ女子現象の話に入ろう。

あまちゃんブームの背景に震災後の地方移住へのあこがれがあると書いたが、カープ女子現象の背景も同様である。

最初にカープファンはカルト的と書いたが、あまりにも独自性が強すぎて他県民の目には正直田舎の変な習俗にしか見えないし、実際それが広島山口と東九州以外の人々からカープを遠ざけていた。 (出身選手が多かったりキャンプ地になっているため実は東九州でもそこそこ人気なのです。)
だが、震災後の田舎暮らしブームで強すぎる地方色がプラスに働いた。
カープを応援することで広島人の気分を味わえるし、応援を通じて本物の広島人と繋がることもできる
カープの応援が疑似的な地方移住体験になったのだ。

しかし、それだけではカープ"女子"と言うように女性の間でブームになった理由にはならない。
女子にカープが刺さった原因、それは先に述べたカープの持つ物語性である。
地方の貧乏チームが都会の金持ちに立ち向かうというのはアイドルの物語としても出来すぎている。
事実NHKのインタビューで「みんなはジャニーズですだけど私はカープ。」と回答したカープ女子もいる。

このように、震災後の地方への憧れと長年にわたるカープのイメージ作りが化学反応を起こした結果カープ女子が社会現象になったのだ。
言ってみれば

カープ女子現象は女性版あまちゃんフィーバー。

だろう。

ちなみに最近見なくなったカープ女子がどこへ行ったかというとなにわ男子に流れたと思うっちゃね。

10年以上にも及ぶ下積みや、これまでの関西系ジャニーズの伝統のお笑いとジャニーズ王道のキラキラ感の融合など人々を惹きつけるのに十分なバックストーリーをもつうえ、(都会か田舎かは別として) 大阪が東京に対する「地方」を本拠にするのでカープ同様疑似的な移住体験にもなるので。

蛇足~1970年代のライオンズのこと~

カープのイメージ戦略の巧さについて書いたが、逆にイメージ作りが絶望的に下手クソで大失敗した球団もある。
1970年代のライオンズだ。

西鉄がライオンズ経営から手を引いた後、福岡から球団を絶やさないためにお隣山口県の実業家が経営を引き継ぐも、西鉄時代末期の黒い霧事件で失った信用を取り戻せず人気は低迷
さらに、球場の弁当業者と揉めたことが原因で市からの嫌がらせで球場の使用料を釣り上げられるなど財界や行政からも嫌われ、最終的に10億の負債を抱え西武鉄道に身売りして埼玉に去って行った

この時期のライオンズはカープにおけるマツダのような後ろ盾を一切持たない (チーム名の太平洋/クランライターはネーミングライツであって親会社ではない) 正真正銘の市民球団で、試合先の球場で拾ったボールを持ち帰って練習に使う移動は普通電車などカープも真っ青なレベルの貧乏エピソードが伝わっている
もしそれを逆手にとって市民球団のイメージを確立できていれば今も市民球団・福岡ライオンズが続いていた世界線もあったかもしれない。

H34-07-10 公開