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バブル建築の粋!平成のやたら豪華なデパート

はじまり

コロナで地権者の調整がついたからなのか、最近あちこちで再開発が盛んですね。
東京では「トーチタワー」という東京タワーを超える390mの超高層ビルが建設されるそうです。
こちら福岡も天神ビックバンという再開発プロジェクトであちこち工事が盛んで、もはや天神には市役所とベスト電器と天神愛眼ビルぐらいしか残ってません。
でも、夢はあまり広がらないよね……。どのビルも凹凸もない量産型の地味な直方体の箱ばっかりでつまんない!イムズを返せ!返せ~っ!

平成のビルは違いました。 日本が本当に元気だったバブル期からまだバブルの余韻が残っていた90年代末にかけては、あちこちに豪華でえきせんとりっくな建物が建てられていました。平成8年に竣工した、格子と球体を組み合わせたフジテレビ本社なんかはその代表例でしょう。
そんなバブル建築の中でも特に豪華だったのが、富裕層相手に商売していたデパートと高級ホテル
宿泊者しか入れないのでホテルについては知る術はないですが、デパートは入るだけならタダなので今日はバブル建築の粋を集めて建てられた平成の豪華すぎるデパートを紹介していきます!

大丸福岡天神店東館エルガーラ

(画像引用元:エルガーラホール)

完成がバブル崩壊後の平成9年ということもあって店内は地味目であえて紹介するほどのものでもないですが、ここの見どころは建物の真ん中を貫く大丸パサージュ広場と名づけられた通路。

ドーム状の天井を持つ広い通路に沿って店やポスターが並ぶ様子はモスクワのグムやパリのオ・プランタンなど欧州の老舗百貨店を思い起こさせます。
九州ではハウステンボスの次に欧州を感じられる場所だと思うっちゃね。その一方、高い天井を活かして7月になると天神一丁目の山笠の山小屋が置かれたり、福岡の伝統も根付いていたりします。

この建物、実はデパートとして使われているのは低層階だけで、上の方はオフィス棟になっていてホールやオフィス、あとハローワークや生活支援センターという建物の豪華さに釣り合わないような施設まで入居しています。
たぶん日本一豪華なハローワークだと思うっちゃね。

JR西日本京都伊勢丹

いわゆる京都駅ビル。

平成9年に京都駅の4代目駅舎として開業した地上15階建てのビルです。

設計は梅田スカイビルや負の遺産札幌ドームを手がけた原広司氏。
特徴的な中央コンコースを底に左右に8階まで広がる段丘状の空間が織りなす渓谷のような空間は、氏の故郷の伊那谷の風景に影響されて設計されたという逸話が残っています。
……が、京都以外のことは見下している京都人は、どこにあるかもわからない田舎の風景が京都の玄関口になっていると認めたくないからなのかこのことについて駅ビル側からは紹介していません!
代わりに駅ビル側が紹介しているのはもう一つのコンセプトの「京都は歴史への門である」。
「京都は歴史の門」ということで、建物内の空間設計は平安京の街路の特徴である碁盤の目の考え方をもとに行われました。
デザインにも碁盤の目は使われ、建物内の天井や壁面には碁盤の目状に飾りの鉄骨が組まれ、外から見たら窓枠も碁盤の目状に見えるように作られてます。外は言われるまで気づかなかった!
そして歴史の「門」ということで、烏丸通と室町通に続く出入口には門が構えられています。

建築当初は「派手すぎて京都らしくない。」と批判も多かったそうですが、細かいところでは京都らしさもしっかり出てるし、しょうたは京都にある建築物では一番好きです。金閣寺よりも立派だと思うっちゃね。

JR西日本は本気出したらこんなすごい建物を作れるのに、どうして博多駅のJR西日本エリアは薄暗くてみすぼらしいんだ!
筑紫口にもJR西日本伊勢丹を建てろ!

駅の敷地に作ろうとしたら新幹線の線路が邪魔だし、横に作ろうにもヨドバシが邪魔なんじゃねーの?

京都駅ビルだって線路跨いでるから言い訳だよ!
福岡は三大都市だし、人口も京都より20万人以上多いし、5世紀には「那の津」として存在が確認されてて京都の比でないぐらい長い歴史を持つ大都会だぞ!

さりげなく名古屋にも喧嘩売ってるし、対立煽りやめい。

(旧) 広島そごう新館

平成6年に開業した広島そごうの新館。

池や巨大な街頭テレビのある広場を中心に、南側にそごう、北側にバイデン大統領も訪れた高級ホテル「リーガロイヤルホテル広島」が建ち、広場のある中央部は8階まで段丘状に空間が広がっていくという、どことなくJR西日本京都伊勢丹を感じさせる建物です。
福岡のアクロス福岡というバブル建造物も段丘状デザインを取り入れているし、当時の流行だったのかもしれません。

↑平成23年公開の映画「DOG&POLICE」に登場した広島そごう新館。

開業はバブル崩壊後ではあったものの、設計はバブル絶頂期だったので建物の中も十分豪華です。
特にエレベーターホールは必見。ドアは金色に光り輝き、天井には金淵の装飾の施された照明が吊り下げられ、売り場とは重厚感のある扉で区切られ、五つ星ホテルの玄関のよう。実際の五つ星ホテルがどんなのかは知らんけど……。
エスカレーターもバブル建築によくある4台セットの仕様 (専門的にはダブルエスカレーターというそう。) ですが、照明にはステンドグラス風の装飾が施されていてさらに高級感が増しています。

広島そごうは、そごう本体倒産時に連鎖倒産を免れた数少ない店舗であり、そごうが閉店しまくった現在まで生き延びている超優良店舗ではあるものの、この新館はメイン通りから外れた立地の悪さやバカ高い家賃が仇となって赤字製造機になっている (それを差し引いても優良店って、本館はどれだけ儲けてるんデスカ!?) らしく、平成35年8月いっぱいでの閉店になってしまいました。
跡地は家主のNTT都市開発がリニューアルして商業施設として再オープンさせるそうです。

ちょっ、紹介画像!

あ~あれ?すごいよね~。
「DOG&POLICE」って映画に出てきたんだよ。
撮影のために本当に爆破したんだって。

(旧) 小倉そごう

平成5年に開業した北九州市で2店目のそごう (1店目は黒崎) 。地下3階・地上14階建てのかなり大規模な店舗でした。

外から見ると円筒状になった部分が目立ちますが、この部分の最上階には中華の鉄人の陳健一氏の回転レストランが入っていました。
回転レストランという単語は聞きなれないかもしれませんが、回転寿司みたいなのではなく、レストランの床がゆっくりとした速度で回転して360度のパノラマビューを楽しみながら食事できるという維持費・建造費ともにかかりそうないかにもバブリーな構築物です。全盛期のそごうは回転レストランがお気に入りだったようで、ここ以外にも奈良そごう (後述) や柏そごうなど多くの店舗に回転レストランを設置していました。
小倉城やフルハウスのOP若戸大橋など、北九州のランドマークを見なながら食べる鉄人の料理は格別だったことでしょう。

10階から12階にかけてあった回転しないレストラン街も回転レストランに見劣りしない豪華さで、3フロアをぶちぬいた吹き抜けにはバブル建築によく見られたスパイラルエスカレーター (曲線になってるエスカレーター) が4台も設置され、3本もの滝が流れていました。

そんな小倉そごうですが、そごうが倒産した平成12年に閉店し、玉屋、伊勢丹、井筒屋と後に入ったデパートも次々に撤退していき、現在は「セントシティ」という、ルミエールやニトリや百均や中古カードゲームショップといったぱっとしない店の集まるテナントビルになっています。悲しい出来事でしたね。
とはいえ、滝がなくなったり回転レストランの中の店が変った程度で現在も建物の雰囲気は当時からあまり変わっていません
濃密なバブルの雰囲気を感じられるのは素晴らしいことですが、そごうの店章をかたどった外壁の模様すらそのままなのは、商標的に大丈夫なのか……?

(旧) 奈良そごう

平成元年に開業したそごうが運営した7階建ての郊外型百貨店。
当店はそごうの郊外店のモデルとしてオープンし、豪華な建物に定評のあるそごうの中でも特に力の入った店舗で850億円かけて建設されたそうです。これは日本人が大好きな単位「東京ドーム」2.5個分ぐらいの額です。

往時は6階のレストラン街には川が流れ、最上階には小倉そごう同様奈良市街を一望できる回転式の展望レストランが設置されていました。
奈良ということで出入口の扉には金色の鹿型の取手が取り付けられ、店内中央部の吹き抜けには浮夢殿という法隆寺の夢殿を1/2スケールで再現したモニュメントが設置されていました。ちなみにこの浮夢殿は金箔が貼り散らされて金色に輝いていたので本家夢殿より豪華です。もうここまで来るとデパートというより平安貴族の屋敷ですね。
↑在りし日の浮夢殿 (そごう倒産時に放漫経営ぶりを伝えたニュース映像より)

貴族の屋敷……。
奈良そごうには貴族の屋敷どころか従業員の間で「皇居」と呼ばれていた空間さえもありました。
これはそごうの水島廣雄会長がくつろぐための隠し部屋のことで、直通エレベーターや純金と大理石でできたトイレなどまであったようです。成金ここに極まれり……。
そんな富と権力の絶頂にあった水島会長を良しとしない人物がいました。長屋王です。日本史の授業で「長屋王の変」という言葉を聞いた覚えがあるかもしれませんが、政争に敗れて謀殺された奈良時代の皇族です。奈良そごうの建設中にその長屋王の邸宅跡が発掘され5万本に及ぶ木簡が見つかるという歴史的大発見があったのですが、そごうは遺跡を破壊して建築工事を続行。
そんなことがあったので、そごうが潰れたのは、不慮の死を遂げた自分の屋敷を壊して建てた百貨店の「皇居」で贅沢三昧な暮らしを満喫した水島会長に対する長屋王の呪いだとまことしやかに言われているんだとか……。

当店は売上では大阪市中心部にあったそごう本店 (後述) をもしのぎ営業利益も黒字だったものの、東京ドーム2個半分の莫大な建設費のため経営的には苦しくそごう倒産後は整理対象になり閉店。
その後は浮夢殿も撤去され、レストラン街の川は無くなり、回らなくなった展望レストランはビジネスホテルに転用され、現在はミ・ナーラというありがちな商業施設になっているそうです。

(旧) そごう心斎橋本店

(画像引用元:都市商業研究所)

平成17年にそごうの新しい本店として開業したお店。
バブルはとうに過ぎ去ってITバブルとか言われてた時期の開業ですが、経営再建中だったそごう復活のシンボルとして社運を賭けて作られた店で、バブル全盛の頃に建てられてデパートと比べても遜色ないような超豪華な建物でした。
外装は戦前の重厚な建物を思わせる装飾を凝らしたアールヌーボー調に仕上げられ、老人をターゲットに戦前の大阪の町並みを再現した売り場になったフロアが存在するなど戦前のモダンな雰囲気を思わせる懐古調の作りになっています

豪華だったのは建物だけではなく、開業1周年を記念して北の大茶会を模した「心斎橋遊覧お茶会」なるイベントが開催され来店者に高級なお茶が振舞ったり、宮沢りえを起用した広告を大々的に行うなど、イベントや広報活動もバブル期並みの規模のものが行われたそうです。
こうした取り組みから新生そごう本店は世界からも高く評価され、平成18年のアメリカの店舗デザイン専門誌『VMSD』が主催する国際店舗デザインコンテストの総合百貨店部門で1位にも選ばれるという快挙を達成。建築的にも、「個性豊かな都市景観作りに貢献した建物」として、第27回大阪都市景観建築賞の知事賞に選ばれました。
1日あたりの来店客数も建替前と比べて3000人も増加し、店も賑わっていたようです。

しかし、来店客は増えたものの客単価が下がったからなのか営業成績は低迷し、目標売上に達することはおろか、黒字を出すことさえありませんした。みんなバブルの頃みたいにお金持ってないもんね。
そんな状況だったのでリーマンショックに耐えられず平成21年にわずか4年で閉店。そごうは創業の地からなくなってしまいました。
平成10年代に再現されたバブルの幻影は、失われた10年が失われた20年になるとともにもろく消え去ったのです。
悲しい出来事でしたね。

疑問なんだけど、なんで西日本とか関西のデパートの紹介ばっかで首都圏のは全然出てきてないんだ?

関西や西日本のデパートはバブル期に調子に乗って大量出店したり建て替えを進めたけど、関東のデパートは西武のパルコとか東急の109みたいにデパートよりファッションビルに力入れたり、他の会社もやたら店を増やしたりせず既存店の改装・増床ですましてたところが多いから、バブル前後に新しくできたデパートは高島屋タイムズスクエアと上大岡京急、あと大量出店したそごうズぐらいしかないんだ。
そのタイムズスクエアと京急もあんまり派手でもないし、そごうも本拠地の関西や西日本に力入れてたから、紹介するほどでもないんだよね……。

関東のデパートは堅実経営だったんだ。
関西や西日本だと、そごうや岩田屋は潰れたし、なんとか生き伸びた天満屋 (岡山) や井筒屋 (小倉) や玉屋 (佐賀) も大量閉店で虫の息だもんね……。

福岡玉屋博多リバレインモール

博多下川端町にある高級インテリアショップや美術館が集まっているテナントビルの博多リバレインモール。
そこらのテナントビルにしては豪華で派手な建物が目立ちますが、実は福岡玉屋 (パチ屋の玉屋でなく長崎のデパート) の新しい店舗になる予定だった建物の注文流れという幻のデパート物件です。
ここと似た名前と外観と雰囲気で福岡県民の間に混乱を生んでいるリバーウォーク北九州という商業施設が小倉にありますが、実はあっちも小倉玉屋の新店舗になる予定だった建物の注文流れだったりします。
リバレインとリバーウォークが似てるのは偶然なんかではなく、ともに玉屋になるはずだった建物だったからなのです。

立派な見た目とは裏腹に、生い立ちからしていわくつきのリバレインは波乱万丈の歴史を歩んできました。
玉屋の代わりに「スーパーブランドシティ」というグッチをはじめとするブランドショップが集まるバブル全盛期のような中身とバブル全盛期でも見ないような田舎の成金感丸出しのダサい名前の商業施設として平成11年に開業に漕ぎついたものの、老舗のデパートが撤退するような不況真っただ中で上手くいくはずもなく3年で運営会社が破綻
その後、別の会社が運営を引き継ぎ「イニモニマニモ」という変な名前で再出発。再開発で博多駅から追い出された井筒屋 (デパート) が移転してきてやっと本来の用途であるデパートとして使われるようになったと思ったらすぐに撤退されたり迷走は続き、耐えかねた2代目運営会社も平成24年に身を引いてしまいます。
こうして後を託された3代目運営には高島屋系列の会社が就任し、ブランド店からインテリア中心のテナントに切り替えたことでやっと軌道に乗り始めたみたいです。バブリーなコンセプトは不況の21世紀に通じないので妥当な判断でしょう。
でも、バブリーなコンセプトは通じなくてもバブリーな建物のデザインは現代でも十分通用する!
てなわけで建物の方を見てみましょう。

これぞバブルといった感じの出っ張たりした複雑な形状のガラス面が目を引きます。金かかってそう。
肌色とベージュのストライプの外壁は親しみを感じさせますが、同じ博多区内にリバレインの翌々年に開業して光の速さで閉店したデパートのエレデ寿屋も似た感じだし、サティの新し目の店もこんな感じだった覚えがあるし00年前後の流行か。
ベースはバブル建築だけど平成十年代要素もあって、過渡期って感じですね。

写真提供:福岡市
写真提供:福岡市
屋上が広場や庭園や遊園地になっているデパートは多いですが、リバレインにも超豪華な屋上庭園がありました。
川側の最上階が「アトリウムガーデン」という開放感あふれるガラス張りの巨大な温室になっていて、中には大きな木も植えられたりしていました。
「なんで『ありました。』『いました。』ってなんで過去形なんだよ。」だって?今は平成26年に5階と6階にオープンしたアンパンマンランドに組み込まれてしまってお子達しか入れないんだ……。悲しい出来事でしたね。

おしまい

最近では仙台のさくら野 (青森のさくら野とは別法人) や旭川のマルカツデパートのように夜逃げでリセットする会社まで出てきてデパート業界自体が斜陽産業で青息吐息なのでもう二度とこんな豪華建築は建てられないだろうね。

日本橋の高島屋や鹿児島の山形屋のように戦前から残っているデパートの建物は近代建築として保護されているみたいだけど、平成固有の建築様式として今日紹介したような「バブル建築」も再評価されて保護される日が来ることを望みます
公開 H34-06-22
加筆 H35-08-12