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お店

35-11-23

消えつつある平成の風景・レンタルビデオ屋のおもひで

みんな驚くかもしれないけど、しょうたはサブスク全盛の今もレンタルビデオ屋に通っています。
平成少年としての矜持もあるけど、配信の見放題に含まれていない映画やアニメを見るなら旧作のセット料金で借りた方が安いじゃん?
だが、しかし!

ついに、しょうた行きつけのレンタルビデオ屋も閉店が決まってしまった!!!

借りたCDをMDやウォークマンに保存したとか、レンタル漫画のコーナーで「神のみ」を立ち読みしたとか、おもひでのいっぱい詰まった店なので心にぽっかり穴が開いた感じ。あと、これからは見放題じゃない映画やアニメは300円とかふざけた金額の配信料金を払って見ないといけないのでお財布にも大穴が開いてしまった……。
まあ寂しくはあるけど、お世辞にも品揃えが良いとは言えない小さなお店が会社の倒産を乗り越え存続し、かつてのライヴァルのGEOがレンタルビデオ屋ではない何かになってしまった令和の今まで生き延びたというだけでも奇跡なのかもしれません。

今日はそんなおもひでの場所へのはなむけに、消えつつある平成・レンタルビデオ屋の何気ない日常風景を書き残しておこうと思います。
①店内の音
よくバタンバタンって大きな音がカウンターから響いてるけど、最後まで何の音なのかわからずじまいでした。
DVDのケースを開け閉めしてるには大きすぎるし、何やってるんだろう……。
あと、しょうた行きつけのところは隣にゲーセンが併設されてたので、100円入れてボタンを押すとキャンディーが出てくる機械から流れる音楽が響いてました。
②貸出バッグ

レンタルビデオ屋では、借りたCDやDVDを入れるための布の手提げ袋を貸し出してくれます。
DVD返却の時は返却ボックスに袋ごと入れ、回収した袋もまた再利用されるというとてもエコな現代でも通用する、というかレジ袋が有料化された現代にこそほしい先進的なサービスです。
③新作DVD情報
レンタルの邦画のDVDには「新作DVD情報」として同じ会社の別作品のDVDの宣伝が入っています (DVDだけでなく、稀に新作映画の公開情報も入っていたりする。)
映画館で映画が始まる前に予告編が流れるのと一緒です。
どこの配給会社でも、最初に表示される「新作DVD情報」の文字が、パワーポイントクオリティで作りました感あふれる何とも言えないダサいものなのはご愛嬌です。
④貸出
TSUTAYAやGEOといった大手では自動貸出機にバーコードと会員証を通せば簡単に借りれるけど、平成の頃無数に存在した中堅チェーンはそのような高度なシステムを備えていなかったので借りたいCDやDVDをレジで店員に渡して精算してましたね。
なので、店員どもは人に見せづらいビデオをよく借りる常連客には変なあだ名付けているに違いなく、アニメやえっちなビデオを借りるには勇気が必要でした。DVDを借りるだけなのに……。
個人経営の店は言うに及ばず、ポパイ (レンタル廃業・ネカフェ専業化) とかフタバ (倒産・TSUTAYA化) とかの中堅のレンタルビデオチェーンが全滅状態なのも、この借りるときの心理的ハードルの高さのせいで大手よりも客に避けられらからだと思うっちゃね。
⑤CDの謎のトラック
レンタルCDは不特定多数の人が借りるのでたまにトラブルが起こります。
しょうたも存在しないはずの4トラック目に謎のオサレな洋楽が入っていた「陽は、また昇る」だったかヘキサゴン系のCDに遭遇したことがあります。
うっかりさんが間違えて上書き保存してしまったものだろうけど、転送して存在しないトラックが出てきたら「呪いのCD!?」ってビビるよね。
⑥店員
夜間帯の店員が、丸顔でワカメヘアーの見るからにオタクな眼鏡の男&狐顔の金髪の若い兄ちゃんの組み合わせという店がチェーンを問わず多かったのは平成の七不思議。
創作物では映画オタクの店員が客の見たい映画の相談に乗ったりする描写がよく見られたけど、もちろんそんな店員はフィクションの世界しかいない。
しかし、一部の映画のDVDの横には店員お手製の作品紹介POPが貼ってあったりするので、店員の映画の知識が0というわけでもない模様。もしかしたら、オタク眼鏡と金髪狐のコンビも、アニメに詳しい人・AVに詳しい人を雇った役割分担の結果?
⑦コミックレンタル
レンタルビデオ屋ではCD/DVDだけでなく、漫画の単行本の貸出も行っていました。
が、ブックオフで買っても大して値段は変わらないのでどういう層が使っていたかは謎。
しょうたは漫画を立ち読みできる場所ぐらいにしか思っていませんでした。
⑧日付変更線
人手不足が問題になることもなかったレンタルビデオも繁盛していた頃のレンタルビデオ屋は24時間営業が基本でした。
なので深夜にふらっとDVDを借りに行く人も多く、日付が変わったタイミングを貸出日の基準としてしまうと混乱の原因になるので、早朝や昼前といった空いている時間に貸出日の変更基準を設定し、それを「日付変更線」と壮大な名前で呼んでいまいました。この言葉考えた人は天才だと思う。
35-01-07

ファスト風土なんてなかったよ

無駄に広い歩道の脇で繁茂したブタクサが揺れている片側4車線の国道。「イオンモールまであと3キロ」の看板は、田んぼの中に薄黄色の戸建て住宅の立ち並ぶ単調な風景のアクセントだ。
この道を道なりに進んだ先にあるイオンモールの周辺には、イオンのおこぼれにあずかろうとコバンザメのように青山、デオデオ、ユニクロなど多くの店も集まっていて、今ではすっかり地域の中心だ。
駅や、商店街といいつつ商店がない中央町の商店街に用がある人なんていないからなのか、最近は1時間に1本のコミュニティバスもイオンモールを中心に運行されている。
……というのが現代の田舎の良くある風景ですね。え、デオデオなんて店はもうないって?


こういった街並みが量産されたのは平成10年代のこと。
平成11年に行われた大店法改正によって大型店の出店に対して規制緩和が行われて、郊外へショッピングセンターを建てやすくなったためです。
こうして雨後の筍のように建てられたイオンモール他を前に、それまでの買い物の中心だった駅前や市役所周辺のデパートやダイエーはなすすべもなく、周辺の商店街を道連れにして滅んでいき、わずか数年の間に、「廃れた旧市街地/ロードサイドに立ち並ぶチェーン店」という現代の田舎の風景が形成されました。

この状況に対し、

イオン「わたしは イオンモール。すべての商店街を消し去り そして わたしも消えよう」

のコピペや、民主党 (当時) への (シャッター街が増えたことに対して) 「何言ってんだ!ジャスコのせいだ!」というヤジのように多くの批判が行われましたが、中でも注目されたのが社会学者の三浦展氏によるファスト風土論でした。

三浦氏は著書の「ファスト風土化する日本―郊外化とその病理」の中で、「地方の郊外化の波によって日本の風景が均一化し、地域の独自性が失われていくこと」を、チェーン店の象徴であるファストフードにかけて「ファスト風土化」と主張し、これについて「地域ごとの均質性の上昇によって格差意識が高まり、競争の激化を招く。」「固有の歴史を持つ地方の独自性が損なわれ、共同性が失われる。」などと批判をくわえています。
このファスト風土論は00年代に一世を風靡し、マイルドヤンキー論にもつながるなど、大きな影響を与えたようです。


う~ん。
三浦さんって、多分東京から出たことないんだろうね。
たしかに現代の田舎はファスト風土と言われるような状態だけど、そうなったのは割と最近で元号が平成から令和に代わった頃のこと。
平成10~20年代の田舎・郊外はたしかに、郊外化によって似たような箱型の建物が幹線道路沿いに立ち並ぶようになって風景は均一化されましたが、地域の独自性はまだ残っていてファスト風土と呼ばれるような状態であったとは思えまえん。
なぜなら、地方ごとに多様なローカルチェーンが存在したからです。

令和の今、コンビニというと大手3社とたま~に見かけるミニストップやヤマザキ、激レアの赤いまま生き残っているポプラ、北海道ローカルのセイコーマート、鹿児島ローカルのアイショップの8社ぐらいしかありませんが、平成末期までは、九州のエブリワン、北関東のセーブオン、南関東と四国のスリーエフなど、ローカルコンビニはたくさんありました。
今はなきサークルKサンクスも全国展開ではあったものの名古屋の会社だったので名古屋飯に力を入れており、名古屋飯普及の陰の功労者でもあったようです。しょうたはサークルKには縁がなかったから知らんけど……。
当時は激レア化していなかったポプラも「やっぱ九州のコンビニはポプラやね。」というキャッチフレーズで知られたように、九州が地盤だったので唐揚げや明太子などにこだわっていました。今もこだわっています。
さらに平成10年代まで遡ると、石川のチックタック、秋田のマジカルママなど、地方どころか県単位のローカルコンビニもあるなど、まだ多くのローカルコンビニが存在していたようです。この時代のコンビニ飯愛好家は食べ比べ大変だっただろうね。楽しそうだけど!

コンビニだけでなく、郊外化の元凶たるショッピングセンターにだって地域性がありました
現代ではゆめタウンぐらいしか地方系のショッピングセンターは残っていませんが、コンビニ同様元号が変わるぐらいまでは、イオンに吸収された中四国ローカルのフジグラン、ドン・キホーテに乗っ取られた名古屋のアピタなど、地方勢もイオンに負けじと競ってモールを建てて郊外化を加速させていました。しょうた日記でもお馴染みの西日本のローカルスーパーのサンリブも、サンリブシティやくりえいとなどショッピングモールを建てていた時期がありました。

こんなふうに、平成の頃は郊外が進んで似たような形の建物が全国で建ったものの、店内に一歩足を踏み入れれば地域ごとの独自性も文化は残っており、ファスト風土論で言われているような地方の独自性の喪失は起こっていなかったのです。
それから15年ほど経ってファスト風土化が実現するわけですが、原因はさらなる郊外化の進展ではなく企業の淘汰が進んだためです。
地方の画一化などの原因として平成10年代に起こった郊外化は批判に晒されてきたわけですが、単なる駅前から幹線道路沿いへの商業地が移転にすぎず、ファスト風土と呼ばれるような均質化した地方を産んだ本当の原因は、チェーン店という強者の中の弱者であるローカルチェーンが単独で生き残れないほどの地方の過疎化や景気の停滞だと思うっちゃね。
34-09-09

100円ショップと創英角ポップ体

しょうたはダイソーが好きです。
お手軽な値段で色々なものが並んでいるので店の中を歩いていて飽きないし、あれこれ目移りして「100円だし。」とついつい余計なものまで買ってしまいます。
でも、最近のダイソーは正直苦手です。
安っぽいPOPもないし、なんか店も白とピンクを基調にしたデザインになってお洒落ぶってるし、気づけばロゴもカラフルな創英角ポップ体から片仮名の「ヘ」みたいになってるし、庶民的な店だったはずが、なんか意識高い系な雰囲気に……。
あの頃のダイソーのチープさを感じられるものは、店内BGMのやる気のなさそうな合いの手「ダイソー」と、おもちゃ売り場に置いてあるベイブレードのパチモン (シューターの互換性まである。) ぐらいです。

しょうたの憧れたダイソーはもっとごみごみしてたし温かみもあったし、おもちゃ箱みたいな空間だったはず……。
というわけで、今日はいつの間にかなくなってしまった平成のダイソーをしょうたの記憶をたよりに振り返ってみます。

ダイソー
ダイソー

ダイソーのおもひで① 創英角ポップ体

ダイソーといえば創英角ポップ体

ロゴはもちろん、店内の売り場案内や商品のシールなどいたるところでお目にかかることができました。
どれも旧ワードの時代のパソコン初心者が作りそうな出来栄えのものばかりでした。
ダイソーの社長は「パソコンはできん~」と言っていたそうなので、社長の趣味でしょうか?

でも、不思議とオシャレになる前のダイソーの雰囲気にはあっていました
創英角「ポップ」体という名が示すように、創英角ポップ体はスーパーなどのPOPが本来の用途なのでこれが正しい使い方だったのかもしれません。

ダイソーのおもひで② ザ

庵野監督が「シン」という冠詞を好むように、昔のダイソーは「ザ」という冠詞を気に入っていました
ロゴにも「ザ・ダイソー」とザが入っていたので、ザ・ダイソーとダイソーのどっちが正しいんだ!?と疑問を感じた人も沢山いると思います。
「ザ・文房具」「ザ・電気小物」といった具合に店内の売り場案内でもいちいちザが入っていたし、「ザ・BOX」などオリジナル商品の商品名にも漏れなく「ザ」が入っていました。

高校英語の範囲になるので小学生のしょうたは何が何だかわかりませんが、冠詞「あ」が沢山あるものの中の一つを指すときに使われるのに対し、冠詞「ザ」は特定のものを指す意味があるそうです。
今でこそオシャレ感さえ漂う無難なお店になったダイソーだけど、昔は今のドンキを明るくしたような雰囲気でよくわからない商品も色々置いてあり、同じチェーンなのに店舗ごとに個性があってそれぞれオンリーワンな存在だったので、「ザ」の使い方としては間違っていなかったのかなとしょうたは思います。

ダイソーのおもひで③ カラフルな商品

昔のダイソーの商品は青やピンクのけばけばしい色合いのものが多くてお部屋のインテリアに合わせづらいものばかりでした。
今もしょうたの部屋の中で15年ぐらい前に買ったダイソーの真っ青なカラーボックスが強烈な存在感を放っています。
他者と比較してもダサいことで当時は不評だったダイソーの収納ケース。
でも、ピンク系のものは平成ギャルの部屋で大活躍していたことでしょう。

ダイソーのおもひで④ 矢野会長

平成36年に亡くなられた創業者の矢野会長もなかなか濃いキャラクターでした。
ダイソーが日本を代表する企業になっても奢ることなく

「好調な時に『いつかはダメになる、こんなことが長く続くはずがない』という恐れや不安が会社の力になると思う。」

「私の欠点は数え切れない。」

ネガティブとも思えるほど謙虚な姿勢を貫き、普段の生活も飾ることなく質素だったそうです。
これは中野お兄さんの知り合いのダイソーのお取引先で勤めている人に聞いた話ですが、商談で訪れた矢野会長はお昼ご飯で高級弁当を食べたりせず社員食堂 (糞不味い) で食べるのが好きで、新入社員や新人の警備員はボケた爺さんが勝手に入り込んだのと勘違いして陰口を叩いたり追い出そうとするので、お得意様に失礼があってはいけないと上司はヒヤヒヤしていたんだとか。 飾らない人柄が伝わるエピソードですね。
オシャレな商品が小綺麗に並べられた今のダイソーは使いやすいけど、昔は昔で大量の商品から掘り出し物や珍しいものを探すドンキに似た楽しさがありました。
個人の移動販売の店から始まったというダイソーも、今や世界28か国で5000店以上を展開する国内有数のチェーン店。効率化・統一化に向かうのは仕方ないことでしょう。
でも、昔のダイソーは個人商店的を思わせる手作り感やハンドメイド感など平成的なあたたかさで溢れていました
品ぞろえこそ令和のラインナップになっているものの創英角ポップ体のPOPや昔のロゴが残ってるダイソーも田舎のスーパーの2階や商店街の中の店を中心に残っているので、もしそういう店を見かけたらあの頃の100円ショップに思いを巡らせてみてください。
34-03-23

おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえりました。

セブン&アイホールディングスが百貨店のそごう・西武の売却を検討しているそうです。
そごう・西武は経営悪化が深刻な用で、2007年に28店舗あった店舗が2021年には半分以下の10店舗に、営業利益は267億円の黒字から67億円の赤字になり、赤字垂れ流し状態。
見るに見かねたハゲタカファンドがリストラしろと迫ったみたいです。
資本主義ってほんとクソですね。

さて、そんな西武・そごうがまだ今より元気だった頃、そごうにはとある名物がありました。

からくり時計

です。

そごうは東京ディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーだったので、その縁でアトラクションに出てくる人形が「イッツ・ア~」のテーマソング「小さな世界」に合わせて踊る巨大からくり時計「世界の人形時計」を各店舗の玄関に設置していて、人々から愛されていました。
毎時00分になると道行く人たちは足を止めて人形を眺めていたし、お子達はわざわざ親にねだって集まっていました。
しょうたもセントシティもといコレット井筒屋もとい伊勢丹もとい玉屋もとい (入った店が次々潰れる呪われたビル。) 小倉そごう (記憶が微妙……。) や、田舎に帰った時に広島そごう (これははっきり覚えてる。) で、「人形が見たい。」と、おばあちゃんとかにねだってお店の玄関まで連れて行ってもらって見てました。

元そごう社員の実業家の原田良治氏は世界の人形時計について
これを見て自殺をとどまったホームレスの方もいらっしゃいました。
と述べており、この時計がどれだけ人々を幸せにしていたかがわかります。

しかし、そごうの経営悪化とともに年間300万円かかった (Youtubeのコメント欄より・ソース不明。) という人形たちの維持費や、ネズミ園への巨額のお布施が重荷になって、
おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえることになりました。
という粋なお別れのメッセージを残して2008年4月15日をもって世界の人形時計はからくり演出を終了。
世界の人形時計は、ただの大時計として使われることになりました。
最終日には人形たちとの別れを惜しむために多くの人が各地のそごうの玄関に押し寄せたそうです。

それから15年あまり……。
かつて「世界の人形時計」だった普通の大時計は、閉店により建物ごと撤去されたり壊れたまま放置され荒廃しているものも多いです。
横浜そごうの開店35周年を記念し、大型ビジョンにからくり時計っぽい映像を流す「デジタルからくりビジョン」という催しが行われましたが、その時も「イッツ・ア~」も世界の人形も登場しなかったので、会社としても世界の人形時計の復活は完全に諦めているものだと思われ、「普通の大時計」として残っているものもからくり時計としての復活は絶望的です。
もう二度とあの1時間に1度繰り広げられた明るく楽しく幸せなひとときを体験することはできないのです……。 日本国内では

なら日本国外ではできるのかって?
はい、できます!
実は台湾のそごうを運営する「太平洋崇光百貨公司」社が上海ディズニーランドと独自に契約を結んだおかげで台湾では世界の人形時計が今でも現役らしく、あの頃の日本各地のそごうで見られたように毎時00分になると「小さな世界」にあわせてからくり人形たちが踊り、多くの人が集まっているようです。
台湾旅行に行くことがあれば、世界の人形時計を見るためにそごうに行って幼いころのおもひでに浸ってみるのも悪くないんじゃないかな?