流行
アニメ視聴がオタク層以外にも広がり、それでいてマルマルモリモリみんな食べたりお昼休みはウキウキウォッチングしたりテレビにもまだ影響力のあった2010年代前半。
新たに生まれたジャンルは順調に発展しつつ、今では廃れたものも最期の輝きを放っていた日本のエンタメ界ですが、一つだけ暗黒時代を迎えていたジャンルがありました。音楽です。
握手券商法のAKBと初回限定版商法のジャニーズがCD売上上位をかっさらい、それをパクったEXILE TRIBE (DQN) やKARAなどアイドルによってオリコンチャートが独占される事態に陥ってしまったのです。
音楽配信がギリギリ一般化していなかったこの時代はまだオリコンランキングが影響力を持っていたので、流行る曲も音楽番組でもラジオでも流れるのもアイドルソングばかりという異常事態。
かろうじて流れるアイドル以外の曲も「マルマルモリモリ♪」「潮騒のメモリー」「女々しくて」など、まだかろうじて影響力を残していたテレビの企画やコミックソングばかり。ていうか、小泉今日子も昭和の頃はアイドルだったので潮騒のメモリーもアイドルソングですね。
何度も擦っている話だけど、しょうたの周りではまだインディーズだった頃にMDを誰かがみんなに聞かせたらすごく流行りました。なのでSEKAI NO OWARIではなく敢えてインディーズ時代の世界の終わり表記です。
世界を暗いものと捉えつつも希望や絶望に寄り添うような初期のダークな世界観が思春期の感覚にマッチしたのでしょう。
一般化するにつれ、Fukaseの精神状態が安定してきたのか、それとも世間に迎合せざるを得なくなったのか、RPGあたりで厭世観みたいなものは消えてしまったけど……。
なんかあったらとりあえず「じょいふる」で盛り上がるのが平成20年代の中高生です。
修学旅行のバスの中でもみんなでじょいじょい歌ったなー。
で、ネット慣れしてない子がパソコンの授業の「なにか好きなものについて検索してホームページを開いてみましょう」のときに「ポルノ」で検索して卑猥なホームページが表示されるという事故が多発していました。
「愛唄」とか人気曲はたくさんあったけど、野球部のハゲはひたすら「キセキ」「遥か」を意味もなくiPodで流すし、汚ねぇ声で歌う!
2010年前後の野球部、Greeenと、とっくに解散したロードオブメジャー (Major主題歌担当) 、あとファンキーモンキーズ (なんで?) ばっか聞いてる。
殿堂入りのAKB以外だとしょうたの周りでは℃-ute、Perfume、ももクロが三大派閥でしたが、治安の悪そうな学校ではE-girl派も強かったようです。
女子の間ではフォーメーションダンスで人気を取り戻したモーニング娘。もまあまあ人気でした。
ベリオタ (Berryz工房オタ) だった中野お兄さんは、℃-uteオタのリア充と娘。オタの女子に囲まれて肩身の狭い思いをしながらハロコンに行ってました。
千本桜も市民権を得ていた。けど、メルトはタイトルが中二病臭いからか、表立っては聞きづらかったよ……。
あとほぼ日Pの行きます!カラオケ一曲目はタイトル通りカラオケ一曲目の定番ソングだったよ。
この時代の中高生=平成一桁後半生まれが聞いていた音楽はちょい上の平成一桁前半生まれ世代とそんなに変わらないと思うっちゃね。
しょうたも年下とカラオケに行くと、ミセス?グリーンアップル?え、えっ?ってなるけど、5~6歳上の先輩となら楽しく歌えるよ。
新たに生まれたジャンルは順調に発展しつつ、今では廃れたものも最期の輝きを放っていた日本のエンタメ界ですが、一つだけ暗黒時代を迎えていたジャンルがありました。音楽です。
握手券商法のAKBと初回限定版商法のジャニーズがCD売上上位をかっさらい、それをパクったEXILE TRIBE (DQN) やKARAなどアイドルによってオリコンチャートが独占される事態に陥ってしまったのです。
音楽配信がギリギリ一般化していなかったこの時代はまだオリコンランキングが影響力を持っていたので、流行る曲も音楽番組でもラジオでも流れるのもアイドルソングばかりという異常事態。
かろうじて流れるアイドル以外の曲も「マルマルモリモリ♪」「潮騒のメモリー」「女々しくて」など、まだかろうじて影響力を残していたテレビの企画やコミックソングばかり。ていうか、小泉今日子も昭和の頃はアイドルだったので潮騒のメモリーもアイドルソングですね。
そんな感じで2010年代前半の日本の音楽シーンはオリコンというシステムをハックしたアイドルとテレビに焼き尽くされてしまいました。
J-pop暗黒時代の学生たちはどんな音楽を聴いていたのでしょうか?①世界の終わり
この時代に出てきたバンドの中で唯一老若男女広い世代に受け入れられ人気も継続できたであろうグループ。何度も擦っている話だけど、しょうたの周りではまだインディーズだった頃にMDを誰かがみんなに聞かせたらすごく流行りました。なのでSEKAI NO OWARIではなく敢えてインディーズ時代の世界の終わり表記です。
世界を暗いものと捉えつつも希望や絶望に寄り添うような初期のダークな世界観が思春期の感覚にマッチしたのでしょう。
一般化するにつれ、Fukaseの精神状態が安定してきたのか、それとも世間に迎合せざるを得なくなったのか、RPGあたりで厭世観みたいなものは消えてしまったけど……。
②いきものがかり
男性ボーカルで人気だったのがセカオワなら、女性ボーカルで人気だったバンドがいきものがかり。なんかあったらとりあえず「じょいふる」で盛り上がるのが平成20年代の中高生です。
修学旅行のバスの中でもみんなでじょいじょい歌ったなー。
③ポルノグラフィティ
テレビやオリコンが機能不全に陥り、インターネットも微妙に普及していなかったこの時代に音楽を知るルートは兄や先輩の影響が大きかったので、世代は微妙にずるけどポルノグラフィティはよく聞かれていました。バンプオブチキンやフジファブリックも同じ理由で人気。で、ネット慣れしてない子がパソコンの授業の「なにか好きなものについて検索してホームページを開いてみましょう」のときに「ポルノ」で検索して卑猥なホームページが表示されるという事故が多発していました。
④GreeeeN
ルーキーズの主題歌になった「キセキ」「遥か」が凄まじく売れて、当時の男子の聞く曲としては定番中の定番でした。「愛唄」とか人気曲はたくさんあったけど、野球部のハゲはひたすら「キセキ」「遥か」を意味もなくiPodで流すし、汚ねぇ声で歌う!
2010年前後の野球部、Greeenと、とっくに解散したロードオブメジャー (Major主題歌担当) 、あとファンキーモンキーズ (なんで?) ばっか聞いてる。
⑤アイドル
J-pop暗黒時代の戦犯とはいえ、アイドル戦国時代なので、みんなアイドルソングも聞いていました。殿堂入りのAKB以外だとしょうたの周りでは℃-ute、Perfume、ももクロが三大派閥でしたが、治安の悪そうな学校ではE-girl派も強かったようです。
女子の間ではフォーメーションダンスで人気を取り戻したモーニング娘。もまあまあ人気でした。
ベリオタ (Berryz工房オタ) だった中野お兄さんは、℃-uteオタのリア充と娘。オタの女子に囲まれて肩身の狭い思いをしながらハロコンに行ってました。
⑥ボカロ
まだオタクのものといった印象の強かったボカロだけど、マトリョシカとかパンダヒーローとかハチ (米津幻師とは言わない) はオタク以外も聞いていました。ここは今の子と変わらんね。千本桜も市民権を得ていた。けど、メルトはタイトルが中二病臭いからか、表立っては聞きづらかったよ……。
あとほぼ日Pの行きます!カラオケ一曲目はタイトル通りカラオケ一曲目の定番ソングだったよ。
まとめ
2010年代前半は新たなグループがほとんど出てこなかったので、青春パンクとガールズバンドが消えた代わりにボカロとアイドルが出てきた以外は00年代とあまり変わっていないような……。この時代の中高生=平成一桁後半生まれが聞いていた音楽はちょい上の平成一桁前半生まれ世代とそんなに変わらないと思うっちゃね。
しょうたも年下とカラオケに行くと、ミセス?グリーンアップル?え、えっ?ってなるけど、5~6歳上の先輩となら楽しく歌えるよ。
先月末、佐賀のデパートの玉屋のレストランが閉店するというニュースを聞いて、玉屋つながりで系列の佐世保玉屋で提供されている隠れた佐世保名物の玉屋サンドがなくなると早とちりしてしまったしょうたは大慌てで佐世保に行ってきました。
もちろんサンドイッチはおいしかったんだけど、せっかく佐世保まで来てサンドイッチだけ食べてとんぼ帰りするのは勿体ないので佐世保バーガーも食べようとハンバーガー屋さんを探して商店街の中を彷徨ってみました。結局食べ物のことしか考えてないのかよっ!
それで佐世保の町中を歩いていて思ったけど、リリースからだいぶたつのに相変わらず「艦隊これくしょん」って人気だね。パネルとかポスターがいたるところに飾られているし、聖地巡礼に来たとおぼしき艦娘の缶バッジつけた提督 (艦これのオタク) がウロウロしているのも見かけました。
今では痛い言動がみんなに笑われているハゲが放送作家としてみんなを笑わせていた頃に書いた「永遠の0」が大ヒットしたこともあったし、海軍関係のコンテンツは定期的に流行りますね。泥臭くてダサいイメージのある陸軍と違ってかっこいいから?
さて、00年代半ばにも旧海軍関係の大きなブームがありました。
当時の世界最大にして戦艦時代の最後を飾った大日本海軍の戦艦
タカラ (当時) やディアゴスティーニなど各社がこぞって大和の模型を出したり、大和の新写真が発見されたニュースが新聞の一面を飾ったり、「ドラえもん」でラジコン海戦の話がリメイクされ「かみちゅ!」でも戦艦大和をテーマにした話が作られたりアニメにも影響が及んだり、軍靴の幻聴を聞いた左翼がお気持ち表明したり、大和が社会現象になりました。
ブームの火付け役は平成17年4月に呉市にオープンした旧海軍の歴史を中心とした船舶技術を展示する博物館「大和ミュージアム」でした。
目玉となった1/10スケールの大和の模型や構想から開業までの10年近くに及んだ入念な準備が功を奏し、初年度には地方の博物館として異例の年間161万人もの来場者を集める人気観光地として注目を集めました。どれぐらいすごいのかわからないので参考までに晩年のスペースワールドと晩年のとしまえんの年間来場者数を記しますが、それぞれ164万人と112万人なので有名テーマパーク並~それ以上の人が来たことになります。
こうして世間で戦艦大和への関心が高まる中、タイミングよく戦艦大和を題材にした映画「男たちの大和/YAMATO」が公開され、平成17年の邦画興行収入1位・制作元の東映史上でも2位を記録する大ヒット作となり、博物館と映画の相乗効果で大和のブームはさらに加熱。
その後も大和ブームに便乗して大和ミュージアムの隣に海自の潜水艦の展示施設「てつのくじら館」が建てられたり、関心が高まったおかげからなのか大和に関する研究が進んで新発見も相次いだこともあって、しばらくブームは続きました。
海軍は高度経済成長期も昔から何度かブームを起こしてはいたそうですが、今回のブームで特筆すべき点は若い世代にも受け入れられたことでしょう。
「男たちの大和/YAMATO」公開時にも東映上層部は観客のメイン層は50代と踏んでいたように、業界では戦争関係の映画に興味を持つのはオッサンというのが常識とされていたみたいですが、制作指揮をとった角川春樹は10代・20代にも見てもらいたい映画を目指し、実際に「男たちの大和/YAMATO」は泣ける映画として若者にも受け入れられました。
話のつかみの部分で出てきた大和ブーム後の「永遠の0」が幅広い世代に受け入れられて大ヒットしたのも、この大和ブームが海軍関係の話への間口を広げたおかげかもね。
もちろんサンドイッチはおいしかったんだけど、せっかく佐世保まで来てサンドイッチだけ食べてとんぼ帰りするのは勿体ないので佐世保バーガーも食べようとハンバーガー屋さんを探して商店街の中を彷徨ってみました。結局食べ物のことしか考えてないのかよっ!
それで佐世保の町中を歩いていて思ったけど、リリースからだいぶたつのに相変わらず「艦隊これくしょん」って人気だね。パネルとかポスターがいたるところに飾られているし、聖地巡礼に来たとおぼしき艦娘の缶バッジつけた提督 (艦これのオタク) がウロウロしているのも見かけました。
今では痛い言動がみんなに笑われているハゲが放送作家としてみんなを笑わせていた頃に書いた「永遠の0」が大ヒットしたこともあったし、海軍関係のコンテンツは定期的に流行りますね。泥臭くてダサいイメージのある陸軍と違ってかっこいいから?
さて、00年代半ばにも旧海軍関係の大きなブームがありました。
当時の世界最大にして戦艦時代の最後を飾った大日本海軍の戦艦
大和
です。タカラ (当時) やディアゴスティーニなど各社がこぞって大和の模型を出したり、大和の新写真が発見されたニュースが新聞の一面を飾ったり、「ドラえもん」でラジコン海戦の話がリメイクされ「かみちゅ!」でも戦艦大和をテーマにした話が作られたりアニメにも影響が及んだり、軍靴の幻聴を聞いた左翼がお気持ち表明したり、大和が社会現象になりました。
ブームの火付け役は平成17年4月に呉市にオープンした旧海軍の歴史を中心とした船舶技術を展示する博物館「大和ミュージアム」でした。
目玉となった1/10スケールの大和の模型や構想から開業までの10年近くに及んだ入念な準備が功を奏し、初年度には地方の博物館として異例の年間161万人もの来場者を集める人気観光地として注目を集めました。どれぐらいすごいのかわからないので参考までに晩年のスペースワールドと晩年のとしまえんの年間来場者数を記しますが、それぞれ164万人と112万人なので有名テーマパーク並~それ以上の人が来たことになります。
こうして世間で戦艦大和への関心が高まる中、タイミングよく戦艦大和を題材にした映画「男たちの大和/YAMATO」が公開され、平成17年の邦画興行収入1位・制作元の東映史上でも2位を記録する大ヒット作となり、博物館と映画の相乗効果で大和のブームはさらに加熱。
その後も大和ブームに便乗して大和ミュージアムの隣に海自の潜水艦の展示施設「てつのくじら館」が建てられたり、関心が高まったおかげからなのか大和に関する研究が進んで新発見も相次いだこともあって、しばらくブームは続きました。
海軍は高度経済成長期も昔から何度かブームを起こしてはいたそうですが、今回のブームで特筆すべき点は若い世代にも受け入れられたことでしょう。
「男たちの大和/YAMATO」公開時にも東映上層部は観客のメイン層は50代と踏んでいたように、業界では戦争関係の映画に興味を持つのはオッサンというのが常識とされていたみたいですが、制作指揮をとった角川春樹は10代・20代にも見てもらいたい映画を目指し、実際に「男たちの大和/YAMATO」は泣ける映画として若者にも受け入れられました。
話のつかみの部分で出てきた大和ブーム後の「永遠の0」が幅広い世代に受け入れられて大ヒットしたのも、この大和ブームが海軍関係の話への間口を広げたおかげかもね。